広重「月の岬」 |
『寺田寅彦随筆集 第四巻』小宮豊隆編、岩波書店、1948年
青空文庫
【概要】
「涼しさ」に関する寺田寅彦の考察。
【コメント】
ボストンは今年の7月は暑くて湿度も高い日が多かったですが、8月に入った途端に秋のように涼しくなりました。日本は猛暑で大変と聞いています。お大事にお過ごしください。
日本の夏は暑いですが、私には日本の夏の風物や、「夏を涼しげにする工夫」が好ましく感じられます。たとえば朝顔、花火、かき氷など。アメリカにも朝顔や花火はありますし、アイスクリームも人気のあるお菓子ですが、特に涼しさを感じるものではありません。寺田寅彦は「涼味数題」で「暑さのない所には涼しさはないから、ドイツやイギリスなどでも涼しさにはついぞお目にかからなかった」と書いています。ニューイングランド地方でもそこまで暑くなることは少ないし、暑い時期が短いためか、「涼しげ」と感じるものは少ないです。
寺田寅彦が思う「涼しい情景」は以下のように描写されます。
「…港町の宿屋に、両親に伴なわれてたった一晩泊まったその夜のことであったらしい。宿屋の二階の縁側にその時代にはまだ珍しい白いペンキ塗りの欄干があって、その下は中庭で樹木がこんもり茂っていた。その木々の葉が夕立にでも洗われたあとであったか、一面に水を含み、そのしずくの一滴ごとに二階の燈火が映 じていた。あたりはしんとして静かな闇の 中に、どこかでくつわ虫が鳴きしきっていた。(中略)この、それ自身にははなはだ平凡な光景を思い出すと、いつでも涼風が胸に満ちるような気がするのである。」
「…店とはいっても葦簾囲いの中に縁台が四つ五つぐらい河原の砂利の上に並べてあるだけで、天井は星の降る夜空である。それが雨のあとなどだと、店内の片すみへ川が侵入して来ていて、清冽な鏡川の水がさざ波を立てて流れていた。電燈もアセチリンもない時代で、カンテラがせいぜいで石油ランプの照明しかなかったがガラスのナンキン玉をつらねた水色のすだれやあかい提燈などを掛けつらねた露店の店飾りはやはり涼しいものであった。」2番目の引用は幼少期を過ごした高知で、近所の川べりに夏になるとぜんざいや氷を売る小さなお店が出た、という思い出を書いています。自分の子供のころの夏祭りの縁日や、夕方に「やな」に行ったことなどを思い出しました。ビーズのすだれ(のれん)は画像検索すると、昭和レトロというか、少し古くさく野暮ったく見えるのですが、寺田寅彦の文章を読むと俄然、すてきな物のように思えます。
夏祭りの縁日的なものは、夜に見るとあやしげな雰囲気があり、魅惑的ですが昼に見ると安っぽさが目立ちます。渡米する前、夫と夏祭りに行ったのですが、まだ明るい夕方のうちに行って、混雑する前に帰宅しました。でも、夕方から十分混雑し始め、それでいて明るいのでお祭りらしい雰囲気は味わえず、結局埃と混雑を堪能しただけでした。こういうのは大人になってしまうとあまり楽しめないのかもしれません。
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