2013年8月20日火曜日
Fahrenheit 451(本)
【書誌情報】
Ray Bradbury, Fahrenheit 451,Ballantine Books, 1953
【あらすじ】
いっさいの本の所持、読書が禁止されているディストピア。この世界では、消防士の役割は消火ではなく、焚書である。消防士ガイ・モンタグは焚書の仕事に日々勤しんでいたが、自然を愛する少女、クラリースと出会ったことから、本が禁止された世界に疑問を抱き始める。モンタグの妻、ミルドレッドは三方の壁に大型スクリーンの取り付けられた部屋に入り浸って始終テレビ番組を視聴し、番組の登場人物を「家族」と呼んでいる。情報を得る手段はテレビとラジオのみのこの世界では、本を持っている人は隣人に密告され、逮捕される。モンタグは、蔵書を燃やされるくらいなら自分も死ぬ、と言って燃え盛る火に飛び込む婦人を見て衝撃を受ける。
【コメント】
レイ・ブラッドベリーは、Wikipediaによると、「ファンタジー、社会批評、サイファイ、ホラー、ミステリ」を著した作家です。本書は「サイファイベスト100」などでも上位に挙がることが多い、中編です。
本が禁止され、人々がテレビ漬けになった世界が舞台です。1950年代に書かれたので、インターネットはありません。そこで放映されるテレビ番組は、ストーリーなどがあるわけでもなく、登場人物が単に意味のない議論をしているだけですが、主人公モンタグの妻、ミルドレッドのようにこの世界に順応している人にとってはテレビの登場人物こそがリアリティです。本当の家族のことよりもスクリーンの「家族」を心配し、夫とどこで出会ったかすら覚えていません。人々の頭の中は徹底的にテレビ番組に侵食され、思考停止してしまっています。
焚書が仕事のガイ・モンタグは人間らしい少女クラリースとの出会いによって、この世界の異常さに目覚めます。モンタグは、禁止されている本をひそかに自宅に収集していました。閉鎖されたリベラル・アーツ・カレッジ(大学の教養学部)の元教授、フェイバーとも出会い、世界を変えたいと願うようになります。
本が禁止される世界なんて考えたくもないですが、現実よりも虚構にリアリティと魅力を感じるというのは、私にもちょっと他人事とは思えず、怖いところがあります。テレビこそ見ないものの、インターネットにアクセスしない日はほとんどありません。夫とは仲良く暮らしている方だと思いますが、それでも食事中にどちらかがipadを覗き込んで、他方の不興を買うこともあります。もし、食堂にテレビを置いていたら、二人とも釘付けになってまったく話さないと思います。何年も一緒に生活していれば、話すことがなくなるので、当然といえば当然です。本書で、「ストーリーがなく意味のない議論をしているだけ」という人々は、なんとなく現代のSNSに通じるものがあるように思います。
「テレビによる文化の破壊」というテーマ自体は深淵ですが、結末は残念です。夫は「アクションとかサイファイなんて、マッチョと戦って、爆発して、命からがら無傷で逃げ出して、主人公は爆発のなごりを背景に女の子とキスして終わるもんやで」と言いますが、ほぼその通りのエンディングでした。
本を読むにしろ、読まないにしろ、女性の主要登場人物は結局全員死にます。対して、死んだ男性は本は有害だと語り、モンタグを逮捕しようとしたモンタグの上司だけです。モンタグが川を下ると、十二使徒の名前の文学者たちが火に当たっているところを見つけます。彼らは皆男性で、かつては名だたる大学で文学研究などをしていました。学者たちが言及する過去の作家や学者なども専ら男性に限られます。モンタグが目覚めるきっかけを与えたのは少女クラリースだったのに、女性は皆死んでしまい、新しい世界はホモソーシャルというのはどうも納得が行きません。本書が発表された当時は性別役割分担が現在よりも厳格だったのだろうとは思いますが、それでも、テレビに毒され過ぎて思考停止してしまったのは女性、消防士は男性、学者は男性、とはっきり区別され、女性は死んでしまうというのは違和感があります。
【補足】
英語の先生と本書についてディスカッションしたところ、先生は「クラリースは死んでいないと思います」とおっしゃっていました。クラリースの一家は政府に危険と見なされ、モンターグが殺されたと報道されたのと同様に「死んだ」という噂が流されただけだろう、とのことです。たしかにその方が納得がいきます。
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