2014年8月30日土曜日

青い蛍石の産地と特徴

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会社の法務室に勤めていたとき、よく「弁護士や上の人にご説明したとき一目で分かる図や表」の作成を指示されたためか、仕事は関係なくても、ある程度情報やデータがたまると図や表、手順書などを作りたくなります。鉱物を収集するうち、漫然と収集すると、同じようなものが増えるし、うっかり変な買い物をしてしまうこともあるので、青い鉱物の特徴をまとめて、今後の収集の目安にしようと思いました。特に、蛍石は産地も多く、青いものだけでも特徴が様々なので、表を作りました。

記号は、A:高い、C:低い、です。とはいえ、私が持っているのはこの表の中のごく一部であり、持っていないものはオンラインの写真や価格を参照しただけなので、情報が不十分で、誤りもあると思います。また、中心的(と思われる)特徴と、価格を記しましたが、例外も多くあることと思います。 表は過信しないでくださるよう、お願いします。




スペイン、アストゥリアス地方の蛍石です。やはりこれは寒天系の和菓子のように見えます。青だと言い張るのは無理があるような、淡いグレーがかった水色です。でも、透明度が高く、ゾーニングも見え、表面はニスを塗ったのだろうか?と思うくらいつやつやしていて、気に入っています。夫が「そういうの、選択バイアスと言うんやで」と教えてくれました。

【追記】
twitterの蛍石収集家のお友達にお教え頂き、表を一部、修正しました。私など足元にも及ばない、すばらしいコレクションと知識をお持ちで、ブログもきれいな蛍石の写真が満載です。

2014年8月26日火曜日

ビーズの六十面体(20角星)



ギュスターブ・モロー「夜の女神、ニュクス」1880年頃

蛍石もそうですが、同じ形で、色と大きさにヴァリエーションをつけて飾るのが好きです。ビーズの六十面体を大・中・小と作ってみました。ビーズの長さは左から3cm,2.5cm,1.2cm,0.6cmです。作り方は「正多面体クラブ」を参照させていただきました。2個くらい作れば、制作自体は慣れてきますが、3センチのビーズで作ると、テグスが570センチに及ぶので、からまりそうになって厄介です。ただ、技術やセンスが問われるものではなく、100人が作ってもほぼ同じ仕上がりになる点がとても良いなと思います。技術やセンスを必要とするものは、見られるレベルに到達するまでに莫大な色々を要するので、想像するだけでめげてしまい、自分でやってみたいとはあまり思いません。

ところで、この形は正式に何と言うのだろうか、と調べてみると、六十面体すなわち正二十面体の星型Bであろうとは思うのですが(Wikipedia)、星型多面体の説明を読むと難しげな数学っぽいことが書いてあって、よく分かりません。星型多面体がこんなにたくさんあるのは、興味深いです。

2014年8月22日金曜日

蛍石の箱


ベルリン自然史博物館。出典Wikimedia Commons

【薄明かりの絵画】は1回お休みです。

八面体蛍石は、ガラス瓶に保管すると涼しげできれいです。でも、硬度が低いので、カケが発生したりします。よほど手荒に扱ったりしない限り、ひどく割れることはないにしても、時々瓶から出してみると、小さな破片が含まれていて、もったいないと思いました。大きい物は特に、箱に陳列して互いにぶつからないようにするのがいいだろうと、誕生日に、夫に標本箱を買ってもらいました。ガラスの蓋付きです。鉱物の展示はいくつかの自然史博物館で見たところ、ベルリンの自然史博物館の陳列が最も見やすく、かつ美しいと思いました。黒背景の陳列は、宝石店のようでゴージャスですが、色が分かりにくいです。木枠にガラス戸、白背景の収納を真似したいと思いました。何百分の一の規模とはいえ、雰囲気だけは多少なりと取り入れられたかと思います。何も塗料が塗られていないのですが、ステインを一缶買って、箱に塗った残りを日本に持って帰りたいとは思わないので、当面はこのままにします。


 左半分程度はイリノイ産、その隣の青緑色系の4列がナミビア産、一番右の4個は産地不明です。ニューメキシコの深い青もきれいですが、八面体はなぜか非常に高価で手が出ません。このように並べると、一つ一つの形が際立つので、八面体がそれなりに整っているものを選び、小さいのと、歪なのは変わらず瓶に収めています。ダイヤ形が並んでいるのがアルルカンの衣装のようです。鉱山が閉山されて久しく、イリノイの八面体は流通が少ないといいますが、束で販売されていることが時々あります。他に買おうとしていたものが連続で「在庫を紛失した」という理由でキャンセルされた後に青や黄色の八面体セットを見つけました。私は、「値段の割にちょっといいな」と思うものを観賞用に買うと時が経つにつれて心底後悔するし、「高いけどいいな」というものを無理して入手すると、後々までその支出についてくよくよするので、絶対に欲しい!と思う、かつ値段的にも納得できる物を気長に探さないとダメだと思いました。スペースの空きの分は時間をかけて増やしたいと思います。

中の蛍石のいくつかも、夫が買ってくれました。夫は基本的には私のコレクションに無関心ですが、時々目を止めて、「おもしろいね。ええ趣味やねぇ」と言ってくれます。理解ある夫に感謝します。


【追記】
小さいのもペトリ皿に入れて並べてみました。紺色のはとても小さいニューメキシコ産です。少し前に買ったものですが、最近価格高騰著しいです。

2014年8月7日木曜日

薄明かりの絵画から見る19世紀ヨーロッパ美術の変遷(英・仏・独・墺)

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twitterで絵画を紹介するにあたり、一応調べはするのですが、興味の赴くままにあれこれ調べるので、内容が整理されません。西洋絵画にお詳しい方々にご親切にいろいろとお教え頂いたこともあり、せっかく教わったことをそのままにするのはもったいないので、夏休みの自由研究のように、まとめてみました(ご教示ありがとうございます)。

美術は調べ始めると無限かと思うほどに広がり、音楽や文学の潮流とも関連してきます。しかし、対象を絞らないと収拾がつかなくなるので、今回は19世紀、地域はイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアの、薄明かりの絵画のみとしました。イタリアやスペイン、北欧や東欧にも関連する興味深い美術がたくさんありますが、知識が全然ないので、これだけ調べてまとめるだけでも訳が分からなくなりかけました。年表の「アカデミズム」と「反アカデミズム」も、類型的で好ましくない二項対立なのかもしれませんが、アカデミズムを基軸とするとなんとなく話が進めやすい、という素人の浅知恵からこのようにしました。ご容赦ください。

それぞれの芸術運動やグループ、絵の紹介は次回以降に譲ります。なお、バルビゾン派から、リアリズム、印象派の流れは、年表には少し入れていますが、詳しい方がたくさんいらっしゃって、私が下手なことを書くのは憚りがあるので、控えます。

2014年8月4日月曜日

ゲオルク・ヤコビデスの子供の絵


「お気に入り おじいさんと孫」1890年

「おばあさんのお気に入り」1893年頃
 ゲオルク・ヤコビデス(Georgios Jakobides,1853-1932)は、ギリシア出身の画家で、ミュンヘン派の一人です。名前の読み方は違うのかもしれませんが、All Postersの表記に合わせています。ギリシア国立美術館の公式サイトの英語版表記は、Iakovidis Georgiosとなっています。初めアテネの、次いでミュンヘンの美術学校に学び、ガブリエル・フォン・マックスらを輩出した、ピロティ派の指導者であるカール・フォン・ピロティに師事しました。アカデミックな写実主義により、上流階級の人々の肖像画や、神話のシーンなどを描いて成功しました。印象主義や表現主義など新しい表現様式を批判しつつも、若い芸術家たちが独自の路線を歩むのを支援しました。ミュンヘンに17年間暮らした後、ギリシアに戻り、アテネの美術学校の教授に就任し、ギリシア国立美術館を創立して初代館長となりました。

「新聞を読む少女」1882年頃

子供を描いた作品が多くあります。そのどれもが、ユーモラスで生き生きとしています。子供たちは、理想化された美少年や美少女ではなく、かわいいけれど、隣の家に住んでいそうな、自然で身近な表情です。この少女は、両親か、おじいさんかおばあさんの眼鏡を借りて、老眼の真似をして読んでいる(読む真似をしている)ようです。私も子供の頃に、「おじいちゃん新聞読むときこうする」と言って同じようなことをしていたのを思い出しました。Fremdenblattは、オーストリアに実在した新聞です。


「行水」1858年、ギリシア国立美術館
全力をあげて嫌がっています。英語タイトルはcold showerで、冷たい水で洗われているようなので、嫌なのは分かります…

「遊び時間」制作年、所在不詳
大人が目を離している隙に、靴を脱ぎ、靴下を片方脱いだところで、「いいことを思いついた!」とばかりに、靴の中にパンを詰める赤ちゃん。こういうことをする時の子供の集中力はちょっと見習いたいほどですし、おいたをする時は、まるでいなくなったのか?と思うほど、静かになるものだと思います。手足がむっちりして唇を突き出した顔が、リアルです。

「子供たちの演奏会」1900年、ギリシア国立美術館
赤ちゃんは喜んでいますが、おばあさんはうるさいからやめてちょうだい、と言います(美術館の公開している画像)。後ろの少年は、仲間に入れてもらいたいけれど、楽器がないのでジョウロを吹いています。少し離れた所に立っているのが、彼の遠慮の表れかと思います。画像検索すると、懐かしいような、おかしいような子供たちの姿を描いた絵が検出されます。作品はアテネのギリシア国立美術館等に展示されています。