2016年4月30日土曜日

百草園再び



昨年は梅の時期に行った百草園を再訪しました。「あと130メートル」の看板から先の坂がきついですが、坂がきついと分かっていても行きたくなります。


藤とアヤメ(アヤメ、ハナショウブ、カキツバタ問題はとりあえず置いておきます)が目当てでした。17時までの開園であるところ、16:30頃行ったので貸し切り状態で園内の売店もシャッターを下してしまっていて、閑散としていました。混みすぎていると歩きにくいですが、あまりにも人がいないと居たたまれない気分になります。







園内を巡回していた管理人さんが「早く閉めたいんだけど」という目で見るので、早々に退散しました。庭園は閉園間際に行くものではないと思いました。秋には、竹の中に灯りをともして、紅葉を鑑賞するというイベントがあるそうなので、機会があれば行ってみたいものです。

2016年4月9日土曜日

春なので





お花見をして、大きなイチゴを食べ、プランターにペーパーカスケード(ハナカンザシかも)を植え、スミレを摘んできて飾りました。ヒマ人だと思います。

ペーパーカスケードの奥の鉢植えは頂き物のスズランです。昨年の夏は水やりをサボっていたし、冬には跡形もなく消えてしまったので、ダメになったのかと思っていましたが、暖かくなると芽がたくさん出てきました。咲くかどうかは別問題ですが、(サボったくせに)ちょっと期待しています。ペーパーカスケードは、むしろ水やりのし過ぎに注意で、土が乾くまで水は必要ない、とのことなので、これならできそうだと思いました。


ペーパーカスケードは、昨年、アンティークショップで初めて見て、そのお店に陳列されているものの中で一番きれいだと思いました。精巧に作られた、時代物の造花なのだろう、と思って「これは何でできているのですか。いつ頃のものでしょうか」などと訊いてしまったのですが、「それはドライフラワーです。私が育てたのを乾かしました。鉢植えで簡単にできますよ。一つ差し上げます」と言われて、頂きました。自分でも作ってみたいと思って、いくつかの花屋さんで「ペーパーカスケードはありますか」と訊ねましたが、「ペーパーカスケード?そういう花は知りませんね」と言われることばかりでした。でも、いつも週末に買い出しに出かけるホームセンターにありました。

スミレは地味な花のようにも思いますが、群生を見つけるとうれしいです。庭があれば作りたい花の一つです。紫一色の、野性的な、慎ましやかなスミレが好みで、パンジーやヴィオラではダメなのです。

2016年4月3日日曜日

お花見



数年前の寒い時期に、すごく落ち込むことがあり、その後数カ月は養生のため会社にもあまり行かずに、須賀敦子氏のエッセーばかり読んで過ごしました。季節が変わる頃には回復し始めましたが、桜の時期になるといつも、その時に読んでいた『ヴェネツィアの宿』所収の、「カティアの歩いた道」の一節を思い出します。著者がフランスへ留学していた時のルームメイトであったドイツ女性のカティアと、40年振りくらいに東京で再会する、という内容です。
「透明な蜜を流したような4月の夕方だった。(中略)土手に上ると、そこだけ樹木が密生していて、深い森に来たようだった。地面が湿っているのを敬遠してか、その辺りだけは花見客の姿が途だえ、紅白の幕もなかった。人影のない薄闇をとおして見ると、空気がさくら色に染まって、音のない音楽の中を手さぐりで迷い歩いている気がした。地面に散り敷いた花が、あたりをぼんやり照らしている。」
 きっと、桜には十人十様の思い入れがあるのだろうと思いますが、上記の一節に感銘を受け、私は決して桜の下で他人と飲食したり、騒いだりするまい、と思いました。そして、桜の時期に晴れたら、むりやり休みを取ってでも夕方に、ひっそりと見に出かけたい、と思いました。

オフィスの引越しがありました。忙しそうにしている同僚の業務分担を「私がやっておきますね」と引き受ける習性があるので、16棹ある本 棚のうち10棹の荷造りを私が行う羽目になってしまい、週末は使いものになりませんでした。でも、夫は私が花を見たがっているのをずっと気にしていて、近所の桜が満開だったとか、どこそこの桜がきれいだった、と教えてくれるので、せっかくなので夕方に見に行きました。持参したカメラは壊れていて、携帯電話を忘れたので、写真が撮れず残念でした。駅前の桜並木は名所に数えられているようです。古風な街灯と、落ち着いた雰囲気の個人宅に桜が映えて、良い眺めでした。これこそが日本で最も美しいものだ、と確信しています。

カメラが壊れたついでに、行こうと思っていた蕎麦屋さんの蕎麦が売り切れで入れなかった、というオマケもつきましたが、帰りには彼岸桜と、イチゴも買い、まずまずのお花見でした。