2012年7月31日火曜日

日傘を洗濯

before
after
日傘を出してみると薄茶色の汚れが気になったので洗ってみました。洗い方はこちら。綿麻の混紡だったので手洗いできます。白くしたいと思い、洗濯用洗剤の代わりに重曹と酸素系漂白剤で洗いました。

この日傘は10年近く使用している物なのに、日傘が洗えるとは知らず、購入以来初めて洗ったので落ちない汚れもありましたが全体的には多少白くなったような気はします。ただ、洗う前後の写真にそこまで顕著な違いはないため、気のせいかもしれません。傘は普通の人の視線の高さよりも上に来るし、白い布に直射日光が当たると細かい汚れまでは目につかないでしょうから気にしないことにします。

アメリカでは日焼け防止はサングラスが中心で、日傘を持っている人はほとんど見かけません。「日本人て夏は日傘をさすよね!あなたも持ってるの?」と言われたこともあります。日傘は結婚式のときに小道具として使うくらいのもので、普段に使っていると奇妙に見えるようです。サングラスは日本では特殊な職業の人やマダムが使うような印象で抵抗がありました。日傘を持っていると言ったら驚いていた人には、「日光の照り返しは目に悪いからぜひサングラスを使いたまえ」と勧められました。

2012年7月27日金曜日

Kindleを入手しました


グウェン・ジョン

Kindleほしい、と言ったら親切で電気製品大好きな夫が「ええよ。善は急げやね」と言ってすぐに買ってくれました。

電子書籍を導入したいと思った理由は、省スペースで持ち運びに便利ということもあるのですが、アメリカと日本の「本」のあり方の違いによります。日本の本、特に単行本は装丁がきれいで、紙質も良い物が多く、本の価値は内容とモノとしての本の美しさによって決まるように思います。一方、こちらでは内容の優れた本が良い本であるらしく、多くの本は外見は二の次です。適当な装丁で紙は藁半紙のようで、本その物を持つ喜びがあまりありません。アマゾンのマーケットプレイスを利用することが多いですが、送料が3.99ドルかかり、状態が「良い」、「非常に良い」、「新品同様」と書かれていても、書き込み、破れ、水濡れ、カビなどある状態の悪い物が送られてくることが多く、返品したことも二度や三度ではありません。こんな状態の悪い本を販売するなんて、とも思いますが、中古ということは了解して買ったので返品することに心苦しさはあります。これではあまり紙の本を持つ理由がないので導入に至りました。また、文字が高密度に詰め込まれた本を読んでいると疲れてくるので、フォントの調節ができることも電子書籍の魅力です。キンドルの画面は発光しないので、目の疲れ具合は紙の本を読んだ場合と同様だと思います。ただ、画集や写真集はやはり紙の方がいいですね。

読みたい本は著作権が遥か昔に切れているようなものが多いので、とりあえず無料でダウンロードできる本をどんどん読むつもりです。

2012年7月26日木曜日

Death Comes for the Archbishop(本)


【書誌情報】
Willa Cather, Death Comes for the Archbishop, Alfred Knopf Inc, 1927

【あらすじ】
カトリックの司祭としてニューメキシコに赴任したフランス人のラトゥール神父の、新大陸での生涯。メキシコ人やアメリカインディアンとの軋轢と交流、同僚のヴァラン神父との生活等が丁寧に書かれる。

【コメント】
ウィラ・キャザーはアメリカ、ネブラスカ出身の作家です。開拓時代のアメリカを舞台とした作品を著し、One of Oursでは女性として初めてピュリツァー賞を受賞しました。日本での知名度はあまり高くないようです。

ヨーロッパ人が先住民族にたいしてキリスト教を浸透させようとするというテーマ自体は私にはなんとも居心地悪く、違和感がありましたが、ところどころに印象的な描写があるのと、終始一貫して穏やかで軽快な語り口に魅力があり、捨てがたい一冊でもあります。

メキシコ人から譲り受けたコンテントとアンジェリカという名の白いラバに乗って、日干し煉瓦の家やメサ(地形)のある乾燥した砂地を行く茶色い僧服のラトゥール神父と同僚のヴァラン神父という図は厳しい美しさがあるように思います。二人は20年以上にわたり共に仕事をし、生活しますがヴァラン神父はより厳しい状況のコロラドで活動するため、ラトゥール神父の元を去ります。

「コロラドまでコンテントを連れて行くつもりですか、ジョセフ(ヴァラン神父の名)?」
ジョセフ神父は瞬きをした。「ええ、もちろん。コンテントに乗っていくつもりでした。でも、もしあなたがここでコンテントを必要ならー」
「ああ、まったくその必要はありませんよ。ただ、もしコンテントを連れていくならアンジェリカも一緒に連れて行ってもらえませんか。あの二匹はお互いに対してとても愛着があるんです。どうして彼らを永久に引き離すのでしょうか、誰もその理由を彼らに説明できません。二匹は長い間一緒に働いてきたのです」

ラバは雑種で、子孫を残せないのだそうです。カトリックの聖職者は生涯独身を貫きます。ラバの姿に二人の神父が投影されているように思いました。同僚との別れに際し、引き止めたり、美辞麗句を連ねて励ましや別れの表現をしたりせず、「ラバは二匹一緒に連れて行ってほしい」と頼むラトゥール神父が切ないです。

アメリカ・インディアンのナバホ族が登場します。彼らの「野営をしたら焚火やテントの痕跡を完全に消し去る」、「狩をするとき川や森を荒廃させず、自然の恵みを必要最小限だけ受ける」というライフスタイルは考えさせられるものがあります。

2012年7月24日火曜日

鶏肉の赤ワイン煮


ふたを取ると、テーブルの大きな茶色の深鍋から、オリーブや油や肉汁のすばらしい香りが立ちのぼった。料理人が3日を費やした自信作の登場だ。慎重に取り分けなければ、と夫人は温かい具の山にスプーンを入れながら思った。(中略)深鍋をのぞき込むと、内側がきらきら光って、月桂樹の葉やワインの中に、良い香りのする褐色や黄色の肉の塊がたっぷりと煮こまれていた。
(ヴァージニア・ウルフ著『灯台へ』、神輿哲也訳、岩波書店、188頁 )
『灯台へ』に登場するのは牛肉の赤ワイン煮ですが、私は鶏肉で作ってみました。レシピはホテルオークラの「シェフのこだわりレシピ 若鶏の赤ワイン煮チェリー添え」です。 チェリーは添えていません。「グレービーストック」とありますが、そんな洒落たものは持っていないので、野菜ジュース+水で代用しました。ココットがないので耐熱ガラス容器にアルミホイルでふたをして焼きました。レシピにはオーブンの温度と焼き時間が書いていませんが、他のレシピでシチューの焼き時間を調べると「160℃で2時間」と書いてあったのでそれに従いました。

味は意外と普通でした。やや甘味が足りないように思いました。 やはりグレービーストックが入っていないのがいけないのかもしれません。それと、ワインは酒屋で買える一番安いものを使いましたが、この類の料理は「お酒の良し悪しで決まる」との情報もあります。なんといっても夏の煮込み料理は暑苦しいので、涼しくなったら別のレシピを試してみようと思います。

ホテルオークラのレシピサイトはこちらです。 どれもおいしそうです。自作できそうにない物もかなりあるし、やはりホテルで食べるのと家で食べるのは違いますから、帰国したらホテルオークラに行ってみようと思います。

2012年7月22日日曜日

タングルウッド

マウント邸に行った後、夕方からタングルウッドにコンサートを聴きに行きました。演奏はボストン交響楽団等から奨学金を受けている若い音楽家です。ボストン交響楽団の指揮者を29年間つとめた小沢征爾を記念した、オザワ・ホールでの演奏会です。

 芝生でピクニックをしながら聴いている人も多かったです。6時開始で約30分間のプロムナード・コンサートがありますが、そこからコンサート自体が始まるまで1時間半も待つ必要があり、持て余します。

 曲目は
ブラームス 悲劇的序曲
シューベルト 未完成
リヒャルト・シュトラウス ツァラトゥストゥラはかく語りき
 でした。「ツァラトゥストゥラ」は冒頭が有名ですが、全体は初めて聴きました。写真のとおり、大編成で演奏され、珍しい打楽器も使っていてお祭りのようなおもしろい音楽でした。オーケストラ団員が若い人ばかりなので学生オケのようで楽しそうでした。

 オザワホールは縦線や長方形を多用したデザインで、全体的に障子っぽい雰囲気でなかなか良いホールでした。

2012年7月18日水曜日

The Ballad of the Sad Cafe (本)

【書誌情報】
Carson McCullers, The Ballad of the Sad Cafe, 1951,Mariner Books

【あらすじ】
アメリカ南部の町で醸造所を営む、金持ちで男勝りのミス・アメリアの元に親戚だと名乗る背中の曲がった男がやってきて、同棲するようになる。男は社交的で町の人々と仲良くなりミス・アメリアは酒場を開き、賑わうようになるが、ある日服役していたミス・アメリアの元夫が町に戻ってきたことから歯車が狂い始める。
他、ピアノの天才少女の挫折を書いた「Wunderkind(神童)」、虚言癖のある音楽教師についての「Madame Zilensky and the King of Finland(ジレンスキー夫人とフィンランドの王)」などの6篇の短編集。

【コメント】
カーソン・マッカラーズ(1917-67)アメリカ南部出身の作家です。Wikipedia先生によれば
「ピアノの勉強のため、ニューヨークジュリアード音楽院の音楽部門に送られたが、授業料のために取っておいたお金をなくしてしまって、1度も学校へは通わなかった。」
とのこと。それで本作に収められている短篇の中にも、音楽関連の内容のものがいくつかあります。

孤独、むなしさ、相互不理解などが本作の全体に共通するテーマです。マッカラーズがピアノを勉強する際に練習したのはクラシック音楽だったのでしょうが、もの悲しくてなんとなくジャズ(あるいはブルース?)のような雰囲気の漂う短編集だと思います。 つまらなくないのですが、あまり肌に合いませんでした。


2012年7月17日火曜日

イーディス・ウォートンのマウント邸


 ニューイングランドやニューヨークを中心に作品を書いた作家、イーディス・ウォートン縁のマウント邸に行きました。マサチューセッツ州のほとんど西端、レノックスにあります。ウォートンは多方面に才能のある人で、この邸と庭も、イギリスのカントリーハウス、フランスやイタリアの新古典主義建築を参照してウォートンが自分で設計したそうです。敷地は120エーカー(約48万平方メートル) ほどもある大邸宅です。母屋の他、はなれが15くらい(現存するのは1軒)広大な庭、厩舎、温室もあります。

公園よりはるかに広い

今年はウォートン生後150周年に当たるそうです。寄付をした人の中にはヨーヨー・マやジョイス・キャロル・オーツなどが名を連ねていました。


寝室
壁紙



廊下の白と緑の配色がさわやかです。立派な花が主要な部屋に飾られていました。この奥にはウォートンの旦那さんの事務室があります。夫は知らない人の夫婦仲も気にするので、「この人、旦那さんと仲良くなかったみたいやね。しょぼん」と言っていました。



食堂。ヘンリー・ジェイムズなどとも親交があったため、ここでもてなしたそうです。ここから庭に続くテラスに出ます。


庭はごく一部しか見ていません。大部分は花など植えられておらず、沼地、森、芝生などです。全部見たら日が暮れるでしょう。

書斎
 ニューイングランド出身の作家はたくさんいて、この近くだと『若草物語』の、オルコットの「オーチャード・ハウス」が有名ですが、ウォートンはお金持ちだったので家も見応えがあります。気に入っている写真集、『作家の家』(マウント邸には言及されていません) の写真のような雰囲気でした。マウント邸がニューイングランドのどこかにあることは知っていましたが、行くチャンスがあるとは思っていなかったので嬉しかったです。

お土産
ウォートンは犬が大好きだったようで、犬のぬいぐるみがあちこちに飾られていました。絵葉書は、膝の上ではなく、両肩に犬を乗せているというのがおもしろいので買ってみました。右のはEnglish Rulerにならって、定規の裏に女性作家リストがついてます。ディキンソンのポートレートは本人に似ていないし、紫式部はShikibu Murasaki(「紫」が姓で「式部」が名というわけではないと思う)の表記になっており、フランセス・バーニーやスタール夫人の名前がないのにアメリカの聞いたこともないような作家が挙がっているなど、かなり謎のリストですが、「私はこんなの持っているよ」と言えば間違いなく人気者になれます(?)。

ガイドのお姉さんが「ウォートンの代表作は『歓楽の家』、『無垢の時代』、『イーサン・フロム』ですが、個人的にはSummerがおすすめです。これはいわば『イーサン・フロム』のポジティブ版のようなもので、『イーサン・フロム』の季節が冬で寒くて暗い話であるのに対して、夏の明るい話です」と言っていました。『イーサン・フロム』を読んで、陰鬱な小説だと思ったので、次はお勧めにしたがってSummerを読んでみます。


2012年7月15日日曜日

シャーリー・ナイトさんより


3月にニューヨークに行ったとき、レストランで隣の席に座っていた女優のシャーリー・ナイトさんと少しお話させていただきました(参照)。その後、お礼にと小さいお土産とメッセージ(その節はありがとうございました、ご活躍をお祈りします、という程度のもの)を送りました。そうしたところ、先日ブロマイドを頂きました。サイン入りです。写真はおそらく1970年代頃撮影されたものだとおもいます。大切にします。

2012年7月14日土曜日

ニューイングランド水族館・その2

エミール・ガレのランプに似ている



からまりそう

UFO
クラゲは水族館の生物の中でも特に写真写りが良いです。ニューイングランド水族館は地下にクラゲ専用の部屋があります。クラゲといえば江ノ島水族館ですが、こちらもなかなか。透明でふわふわしていて、照明の効果も手伝って幻想的です。陸にあげると途端にグニャッとしてしまうし、刺されると痛いらしいですね。



暑くてだるいわ

イソギンチャクはsea anemoneというそうです。熱帯魚はカラフルで楽しいです。アザラシなど海の哺乳類は半屋外で飼育されています。見分けがつかないからか、魚には名前がついていませんが、哺乳類は名前がついています。なぜかロシア風の名前が多かったです。

アメリカのスーパーマーケットに売っている魚は高いか鮮度が悪いかなので、魚を見ていると食べたくなってきました。でも水族館のお土産屋さんに置いてあるのはペンギングッズばかりで鮮魚はもちろん、缶詰すら売っていませんでした。


近くにあるクインジー・マーケットで昼食を食べました。クインジーはテイクアウトできる料理を色々売っています。タイ料理を買ったら甘くてあまりおいしくありませんでした。

ニューイングランド水族館は水族館としての規模はそこまで大きくありません。ただ、触れるコーナーなどもあって、大人も子供も楽しめると思います。ペンギン好きには特にお勧めです。

2012年7月12日木曜日

ニューイングランド水族館・その1


友達と一緒にニューイングランド水族館に行きました。親切な夫が朝は車で駅まで送ってくれました(そのまま職場に行った)。夏休みなので団体で来ている子供が多くて、大変混雑していました。

仲良し
 水族館は見物系アトラクションの中では美術館に次いで良いと思います。暑いときは特に、涼しげです。ニューイングランド水族館の特徴は中央の円筒形の大水槽を取り巻くようにペンギン池があって、そこにいろいろな種類の小型ペンギンが飼育されていることです。池はオープンなのですが(でも触ることはできません)餌のにおいは特にしません。


海草の切れ端かと思いきや、リーフィシードラゴン(Leafy Sea Dragon)という変な海洋生物でした。動くものを写真に撮るのは難しいです。カメラには「水中モード」があったのでそれを使うべきでした。


タツノオトシゴの大人は15センチくらいありますが、赤ちゃんの時は小指の爪の先ほどしかありません。この水槽の横で数百の赤ちゃんを飼育していました。写真は全部ボケてしまいました。


星空

 友達はブラジル人です。「ブラジルでは川で魚釣りをするとピラニアが釣れるよ」と言っていました。私は、「毒のある魚」のコーナーにいたフグを、「日本人はこれを食べるよ」と言ったら驚いていました。

水族館といえば思い出すのは20年ほども前に行ったカリフォルニア州モントレー水族館の極小ペンギンです。そのペンギンは全長10~15cmくらいで、細めでした。ヒナではなかったと思います。ペンギンは通常、他の魚などとは違う水槽で飼われていることが多く、泳ぐ場合はそんなに深くまでは行かないと思うのですが、 その極小ペンギンは他の色々な魚と一緒にかなり水槽の深いところを泳いでいました。その後いくつかの水族館に行きましたがそこまで小さいペンギンを見ることはありませんでした。また、世界最小のペンギンを調べてみたのですが、ニューイングランド水族館にもいる「リトル・ペンギン」という種類が最小で、それでも33cmあるそうです。 その時母と一緒に見ていて、その後何度か「あの小さいペンギンもう一度見たいね」と話したので、私の夢や幻ということはないと思います。しかし、そんな小さいペンギンは存在しないはずなので、あれは何だったのか、もし何かと見まちがえたとすれば何と見間違えたんだろうか、と未だに気になっています。

運が良ければアメリカ滞在中にカリフォルニアも行けるかもしれないので、その時はモントレーまで行って確かめてみたいです。

The Girl in Blue(本)

Gainsborough, 'Lady in Blue'
【書誌情報】
P.G. Wodehouse, The Girl in Blue, Arrow Books, 1970

【あらすじ】
  1. ニューヨークの弁護士、ホーマー・パイルは姉のバーナデットがデパートで万引きをしたとの連絡を受け、醜聞を避けるためバーナデットをイギリスの知り合いの弁護士、ウィロビー・スクロープの兄が営む田舎の高級下宿に滞在させることにする。
  2. 弁護士、ウィロビー・スクロープは競売でゲインズボロの描いた先祖のミニチュア肖像画「青いドレスの少女」を手に入れ大喜びしている。彼は成功した弁護士だが、田舎にあるメリンガム屋敷を管理する兄のクリスピンは維持費の支出が多いため経済状態が悪い。屋敷の執事、チッペンデールの正体は執事ではなく、クリスピンはチッペンデールに逆らえない。
  3. スクロープ兄弟の甥、ジェリー・ウェストは漫画家である。婚約中だが、陪審員として出頭した法廷で見かけた少女に一目惚れし…
  4.  大切な「青いドレスの少女」が盗まれた!犯人はバーナデットに違いない。
  5. 登場人物がメリンガム屋敷に集合して、「青いドレスの少女」を取り戻すべく奔走する。

【コメント】
P.G.ウッドハウスはイギリスのユーモア小説作家です。私は『20世紀イギリス短篇選』でその存在を知りました。「ジーヴス」などのシリーズは人気があります。ユーモア小説だというので読みやすいだろうと期待したのですが、英辞郎にも載っていないようなイディオムが多数出てきて、書かれた当時の独特の言い回しらしき表現もあり、読むのに苦労しました。

ただ、細かい言い回しや表現は完全には理解できなくても、スピードのある展開でおもしろく読めます。登場人物は一癖ある人ばかりで、特に主人公のジェリーの伯父、スクロープ兄弟のキャラクターがいいです。「おじ、おば」というのは小説に登場すると、重要な役回りで個性的な人物であるケースが多い気がします。

イギリス小説ですからゲラゲラと大笑いさせるということはなく、部屋の隅で一人にやりとしたくなるようなユーモア描写が随所に見られます。以下は、ミニチュアがなくなったので、興奮しているスクロープ弁護士とその兄の会話です。
「どこもかしこも探したのかい?」
この質問は前の質問と同様、彼(ウィロビー)を怒らせたようだった。
「私が眼鏡を置き忘れたようなことを言わないでくださいよ!」
「眼鏡を置き忘れたと言ったのかい?」
「いや、眼鏡を置き忘れたとは言っていませんよ」
「私はいつも眼鏡を置き忘れるよ」
「あなたの眼鏡は呪われればいいんです!」
「そうだね、ビル(ウィロビーのこと)」
田舎に広大な屋敷を所有し、莫大な維持費に苦労するとか、本人は大真面目なイギリス紳士なのにちょっと滑稽だとか、子供や執事など弱い立場の人におおいに振り回されるなど、Evelyn WaughのA Handful of Dustに通じるところがあります。ただしこちらはハッピーエンドです。とはいえ、作者の「結婚はハッピーエンディングではない」というメッセージも読み取れて興味深いです。

 

2012年7月11日水曜日

ビング&グレンダールのバレリーナ


 あまり気に入っていなかったカップ&ソーサーを処分したので、新しいのを買ってもらいました。ビング&グレンダール(ロイヤル・コペンハーゲンに買収されました)の「バレリーナ」です。19世紀末にデザインされた同社の「カモメ」シリーズの食器は大変ポピュラーで、20世紀中盤にはデンマークの家庭の10パーセントは何らかのカモメ食器を持っているというほどに普及したそうです。うろこ状のレリーフがあまり好きではないので私は持っていませんが、ハンドルやつまみにタツノオトシゴがついているのがおもしろいです。

Wikipedia先生より拝借

「バレリーナ」は青のグラデーションで、波の模様があります。縁は金彩です。モダン過ぎず、クラシック過ぎずの塩梅が気に入っています。また、好きな小説、ヴァージニア・ウルフの『波』を連想させます。同時にケーキ皿も買いました。食器屋さんのブログ記事に触発されたからでした。

緑、赤、ベージュなどは料理自体によくある色なので、色のコントラストという意味では青や白の食器が料理を引き立てるのだそうです。それで洋食器の色は青と白で揃えようと思いました。

このカップ&ソーサーは来客用にします。普段は同じメーカーのヤグルマギクのを使っています。紅茶はあまり飲めないので、ほうじ茶を水でいれて飲みます。あとティーポットがないので欲しいのですが、それはまたそのうちに、気に入ったのが見つかったらにします。

2012年7月10日火曜日

スペイン人は闘牛が嫌いです

英語のクラスでスペイン人と話す機会がありました。「自分の出身国を象徴するもの」という話題だったと思います。私は「富士山」と言いました。そのスペイン人が言うには、「スペインの象徴は闘牛だと思われていますが、私を含む大部分のスペイン人は闘牛が嫌いです。一部に熱狂的なファンがいますが、変な人たちです」と言っていました。

Wikipediaで調べてみると、彼女の言うとおりで、闘牛の人気は衰退しているようでした。日本に関しては「男性はサムライで、女性はゲイシャで、最後はみんなハラキリする」とか、「ゴジラがいて、アニメが大好きで、みんな変態である」という類型的なイメージを持っている人が多くて、そのイメージは彼らにとっては魅力的らしいのであえて「サムライやゲイシャなんてどこにもいないよ!自分はアニメに興味ないよ!」とアピールする必要もないかと思うのですが、私も無意識のうちに自分の持っているイメージを重んじ過ぎることがあるので充分注意しないといけないなと思いました。

2012年7月9日月曜日

涼しい絵・日本編

鏑木清方「七夕」
鏑木清方は小村雪タイ(漢字変換できません)と並び、泉鏡花の作品の挿絵画家でした。私は「雪タイ:冬の画家」、「清方:夏の画家」と思っています。雪タイの描く雪景色は、物悲しく枯れた感じにならず、 粋です。清方の描く夏は日本の夏の風物(金魚、虫かご、朝顔などなど)が随所に見られます。実際は湿度が高くて暑苦しいのでしょうが、絵の中は涼しい風が吹いていそうです。七夕は昨日終わってしまいましたが、上の絵は短冊をつけた笹の他に、着物、琴、虫かご、スイカなどを飾っていておもしろいです。昔は七夕の折り、実際に月見団子を飾る要領でスイカを飾ったり、 緋毛氈に小さなうちわを突きさしたりしていたのでしょうか。琴は織姫にちなみ、他の物は涼しそうだからだと思いますが、飾り方が見れば見るほどシュールでユーモラスです。
【訂正】
青、黄色、白、赤、緑の円形のものはうちわだと思ったのですが、中国では七夕に五色の糸を飾ったそうなので、糸巻きに巻かれた糸ではないかと思います。
清方は夏休みの絵日記風な「卓上芸術」がいいです。「鏑木清方記念美術館」は鎌倉に行ったときは必ず寄ります。小さい美術館なので展示は非常に少ないですが、空いていて静かです。季節毎に展示が入れ替わります。入場料も安いので鎌倉にいらした際にはぜひ。鏑木清方の画集は非常に高価だったり、選択肢が少ないのですが美術館で販売している過去の展覧会のカタログは種類豊富で良いです(入場料が安いのにお客さんが少なくて、先行き不安になるので宣伝しておきます)。

小野竹喬「鴨川夜景」
小野竹喬の夏休みらしい一枚です。青い夜の景色に灯るあかりが蛍のようです。季節が夏かどうか定かではありませんが、木製のベランダ風の場所で浴衣姿の人々が夕涼みをしているように見えます。

川瀬巴水「弁天堂」
 川瀬巴水は青を多用した作品が印象的です。上野公園は何度も散歩したので、懐かしいです。実際は、夏は結構においがきついです。蓮もこれだけ茂っていると中に何か潜んでいそうですね。この絵は、ボストン美術館所蔵だそうです。ボストン美術館に行ったときはいつも日本のコーナーは素通りしていたので、次回行ったときはちゃんと見ようと思います。


松岡映丘「さつきまつ浜村」

 松岡映丘は民族学者の柳田國夫の弟にあたり、他に3人いた兄も皆医師や学者だったそうです。物語や歴史を題材とした作品が多く、精緻な描写が特徴です。少し知名度が低いことが残念です。奥行きの感じられる上の作品は、場所はよく分かりませんが私には数年前に夫と伊豆に旅行した時に電車から見た景色を思わせます。

本来なら「涼しい絵・東南アジア編」、「南米編」、「アフリカ編」もあった方がいいのですが、その地域の美術はよく知らないので、ごめんなさい。


2012年7月6日金曜日

涼しい絵・欧米編その2

J.S.Sargent,'Ponte San Giuseppe di Castello Venice'

サージェントです。アメリカ人でしたが、ヴェニスの風景を好んで描きました。彼の油彩の重厚な肖像画はエレガントですが、やはり注文を受けて描くものと自分の描きたい対象を描くのは少し違うのだろうと思います。水彩の風景画は、生き生きとしていてサージェント自身がこんな風に画材を操っていることを楽しんで描いているように思えて、見ている私もちょっと前向きになります。

Delvaux 「海は近い」


ベルギー象徴派の画家、ポール・デルヴォーの作品です。極端な一点透視法、書き割りのような背景、時間帯のよく分からない照明など、夢のような雰囲気です。ミステリアスで少しぞくりとします。建物の柱、電柱、街灯などが規則的に画面の奥の方まで続いているのがデルヴォーの絵の特徴の一つです。規則的に並んだ直線的な物は安心させる効果もありますが、デルヴォーが描くと画面のあやしさを向上させます。上の「海は近い」は数年前に東急文化村のザ・ミュージアムの展覧会で見て、ちょうど前にベンチが置かれていたので座ってずっと見ていました。人工的で意味深で、実際に海まで行ったら実は電動で波を起こすプールでした、というオチがありそうな雰囲気です。

J.M.Whistler, 'Symphony in Grey and Green'
ホイッスラーです。ホイッスラーの作品は色が良いです。ホイッスラー本人は相当な変人だったようですが、作品は清らかで超現実的です。ありそうでなさそうな絵、というか、ものすごく癖が強いというわけではないのに、美術館に行ってホイッスラーの作品が展示されているとすぐに「おお、ホイッスラーだ」と分かるものです。

Puvis de Chavannes,'The Muses'


ボストン公立図書館のピュヴィ・ド・シャヴァンヌです。私はこの一連の壁画が好きで好きで、もう少し近ければ毎日見に行きたいところです。写真が下手なのが残念ですが、実物ははるかに良いです。シャヴァンヌの描く水は鏡のようで、人物は彫刻のように静まり返っています。気温などというものと無縁のところにある世界という気がします。