【書誌情報】
Iris Murdoch, Nuns and Soldiers, Chatto and Windus, 1980
【あらすじ】
ユダヤ系イギリス人で、官僚のガイ・オープンショーと夫人のガートルードはロンドンの高給フラットに暮らす仲の良い夫婦だったが、親切で賢く、親戚や部下から愛され、慕われたガイは44歳で癌により亡くなる。 ガイの、国会議員や医師、弁護士、研究者などの親戚は結束が固く、寡婦となったガートルードを代わる代わる慰問する。また、ガートルードのケンブリッジでの同級生だったアンは、カトリックの尼僧から還俗し、ガートルード宅に滞在し、ガートルードの拠り所となる。一方、ガイの部下で、祖国から亡命したポーランド人の「ピーター」は「伯爵」と呼ばれる憂鬱な青年で、ガートルードに長年想いを寄せているが、ガイの喪が明けてから求婚しようと考える。ガイの世話になっていた売れない画家のティムは困窮し、裕福な未亡人となったガートルードに借金を申し込みに行くと、貸してはもらえないものの、フランスにある別荘の管理と補修を依頼される。ガートルードは別荘を訪れて、ティムと恋に落ち、結婚するが、ティムには直前まで10年間も付き合っていた恋人のデイジーがいた。
【コメント】
1978年のロンドン、カンブリア、プロヴァンスにて、30台の5人ほどの人物を中心とした、片想いの一部始終です。例によって、相関図にあるとおりたくさんの人物が登場します。本書では、ガイ・オープンショーという中心人物をうしなった結束の固いユダヤ人一族ですが、彼らの大半は背景の群集のようなもので、表舞台にはあまり出てきません。主要登場人物は、ガートルード、アン、ティム、「伯爵」または「ピーター」とティムの恋人であるデイジーです。「魅惑者」は登場せず、比較的温厚な人々ばかりで、人を殺したり、決闘したり、誘拐して身代金を要求したりというようなことは起こらず、全体的にすべすべとして手触りが良いです。
ティムとデイジーは、売れない画家志望と売れない小説家志望で、食べる物に困るほど困窮し、ガートルードの家で食料を漁ります。二人は「私たちが安逸に暮らすため、どちらかが金持ちの老人と結婚しないと」と話します。そして、ティムは実際にガートルードと結婚しますが、恋愛結婚であり、結婚した時点で彼女を愛人との生活の資金源にする意図はありませんでした。それでも、(だらしなくも)ガートルードに少し冷淡にされると、度々、すぐにデイジーの下に戻ります。 このあたりはヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』を思いました。
ティムとデイジーが「デンマークの王子」という居酒屋の常連であること、最初の方で人々の要となるような、賢く、思いやり深いガイが亡くなっていること、「ガートルード」が自分よりも若い男性と夫の死後ほどなくして結婚することから、A.S.Byattは「ハムレットが未亡人となった王妃と結婚し、子供のない女性が未熟な若い男性と結婚した」場合の物語である、と述べています。
さらに、かつて大学の同級生であった、アンとガートルードの関係はマリアとマルタの逸話を思わせます。「あなたはマリアで、私はマルタよ」とアンが冗談で言うシーンがあるのですが、それはまんざら冗談でもないようです。ガートルードは、還俗し、行き先のないアンを自宅に滞在させ、アンは友人の財産に頼る生活をしますが、アンに精神的に頼っているのはガートルードの方でした。アンは良き相談相手となり、ガートルードの身の回りの世話をします。アンは理知的であると同時に抑制的で、自分よりも、他人の幸せと恋愛成就を優先します。にも関わらず、最終的には率直で、アンの感情についてはあまり慮るところのなかったガートルードが、幸運を独占します。ガートルードは、騎士道物語におけるミンネのように、配偶者以外に、いつも側にいて愛してくれる「崇拝者」をも確保(?)します。マリアとマルタの話の教訓は、私にはどうも釈然としないのですが、本作でも友人たちのために心を砕くアンが報いられることがないのは、切ない気がします。一生懸命他人に尽くしたから報いられる、とか、直感的に行動してそれ相応の結果になる、ということだと、フラットな寓話になってしまうのかもしれません。
Gertrude, always the princess, had to have whatever she wantedガートルードの、まるで神に愛されているかのような幸運さには、合理的な説明はつかず、アンはガートルードを「お姫様だから」と考えます。ガートルードは王妃であり、中世騎士物語の宮廷の貴婦人であり、姫君なのでした。いろいろな小説や逸話の要素を取り入れて、一つのまとまった物語が構築されているのがおもしろいです。
しかし、聖書と違い、キリストと会って会話までするのはアンです。そのシーンはなかなかに神秘的です。すべてを手に入れようとする姫君の懇願を押し切り、アンはガートルードを中心とする宮廷から抜け出します。報われない恋ばかりが多いストーリーではあるものの、芯の強いアンのキャラクターと相まって、清々しい結末でした。
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