2014年1月30日木曜日

The Time of the Angels(本)

【書誌情報】
Iris Murdoch, The Time of the Angels, 1966

【あらすじ】
第二次世界対戦直後のロンドン。英国国教会の牧師、キャレルは、24歳になる娘のミュリエルと原因不明の病気で床を離れられない美しい姪のエリザベス、使用人のパティ、革命によりロシアから亡命してきた門番のユージーンと共に暮らすが、「神は死んだ」と言い、牧師としての勤めを果たさず、来客も一切受け付けない。しばしば牧師を訪ねてくるアンシア・バーロウは常に門前払いされ、兄や姪を心配して訪れる弟のマーカスすらも、追い払われる。異国で疎外感を持つユージーンは、黒人との混血で自分をアウトサイダーとみなすパティに共感し、好意を抱く。息子のレオ以外の家族を亡くし、孤独なユージーンの心の拠り所となっていたのは、ロシアから持参した聖三位一体のイコンと、パティとの友情だった。しかし、息子は虚言癖のあるトラブルメーカーだった。レオと知り合ったミュリエルは、囚われの姫君のごときエリザベスの存在を打ち明け、レオは会わせて欲しいとせがむ。ある日、ユージーンのイコンが忽然と消える。

【コメント】
マードックの小説には時に、善いところが一かけらもないような邪悪な人物が登場し、物語の中心的役割を果たします。たとえば、The Green Knightのルーカス、A Fairly Honourable Defeatのジュリアスなどが挙げられます。そういった人物は優れた容姿に加え、並外れた頭脳と魅力を持ち、周りの人々を巧みに操り、忌み嫌われるどころか、人々に尊敬され、愛され、心配される対象です。本作では、無神論者である牧師のキャレルがその人にあたります。

キャレルは「神は死んだ。現在の信仰では天使が台頭した」と高尚なあまりよく分からない話をしているだけで引きこもって何もせず、同居の姪、エリザベスは病人で家から一歩も出ず、娘のミュリエルは父親から就職活動をするように促されているものの、従妹の看病と詩作に打ち込むニートです。使用人のパティは門番のユージーンと交流を深めますが、牧師とその家族に束縛されており、本人もそのことを強く意識しています。エリザベスの原因不明の病気は、どうやら仮病であり、他の人々も薄々そのことを感付いていますが、最大の庇護者であるキャレルはむしろ彼女を積極的に閉じ込め、世間との接触を断たせようとします。もちろん、そこには牧師のよからぬ意図が働いています。

パティも含む牧師一家は世間から孤立している分、結束の固い共同体のようですが、実のところディスコミュニケーションの塊で、お互いのことを理解していません。それぞれ異なる思惑を持ちながらも、黒い中心のようなキャレルに、同居する人々のみならず、弟や隣人も惹きつけられます。しかし、キャレルの力とは無関係のところにいるユージーンとレオの父子が、聖三位一体のイコンを媒介として一家に接触すると、共同体は中心を失い、内側から決定的に崩壊します。
After all there was no salvation, no one to call the lapsed soul or weep in the evening dew. The house had fallen down. Nothing was left to Pattie except a last desire to tear and destroy.
キャレルには愛情と見せかけた嗜虐性によって拘束され、ミュリエルには敵対視されていたにもかかわらず、牧師一家から逃れられないと感じていたパティが崩壊を目の当たりにしたとき、彼女は'last desire to tear and destroy'を抱き、これまでに混血の使用人という立場のために抑圧させられていた感情が噴出します。

本書における崩壊は大きな音をたてて崩れ落ちるがごときものではなく、映画で急に無音になる時のような印象です。強固で重厚に見えていたものが、実際は舞台装置のように中身がスカスカで、簡単に壊れるかのような。その呆気なさは、キャレルの求心力によってのみ、つながっていた共同体の脆さを示しているのでしょう。キャレルが語る宗教観は私には理解できませんでしたが、難しいことを言う割に、その行動は倫理に欠けているので、彼の話の本質も、弱く薄いものだったのかもしれないなと思います。崩壊は開放でもあるのですが、爽快感はありません。キャレルを巡るミュリエル、エリザベス、パティという女性たちは、邪悪な存在が拠り所であったためか、芯がなく、ラストに不安が色濃く残ります。

アンドレイ・ルブリョフ「聖三位一体」

パレフ塗

白鳥の湖
ユージーンとレオのペシュコフ父子はロシアから亡命してきました。イコンの他、パレフ塗りの箱や、チャイコフスキーの音楽といったロシアのものが描写されます。女性達にとってキャレルが中心であったように、イコンとロシアの思い出がユージーンの核であるようです。イコンは絵でしかありませんが、キャレルの存在と対照的に書かれています。キャレルは音楽を愛好し、ユージーンはイコンを大切にしていることや、家族との関係においても、frailなものとsolidなものが対比されているのだろうと思います。それらはパティによって少し近付きますが、最終的には全く混じり合うことがなく、そのことが重い読後感の一因となっているようにも思います。

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