数年前の寒い時期に、すごく落ち込むことがあり、その後数カ月は養生のため会社にもあまり行かずに、須賀敦子氏のエッセーばかり読んで過ごしました。季節が変わる頃には回復し始めましたが、桜の時期になるといつも、その時に読んでいた『ヴェネツィアの宿』所収の、「カティアの歩いた道」の一節を思い出します。著者がフランスへ留学していた時のルームメイトであったドイツ女性のカティアと、40年振りくらいに東京で再会する、という内容です。
「透明な蜜を流したような4月の夕方だった。(中略)土手に上ると、そこだけ樹木が密生していて、深い森に来たようだった。地面が湿っているのを敬遠してか、その辺りだけは花見客の姿が途だえ、紅白の幕もなかった。人影のない薄闇をとおして見ると、空気がさくら色に染まって、音のない音楽の中を手さぐりで迷い歩いている気がした。地面に散り敷いた花が、あたりをぼんやり照らしている。」きっと、桜には十人十様の思い入れがあるのだろうと思いますが、上記の一節に感銘を受け、私は決して桜の下で他人と飲食したり、騒いだりするまい、と思いました。そして、桜の時期に晴れたら、むりやり休みを取ってでも夕方に、ひっそりと見に出かけたい、と思いました。
オフィスの引越しがありました。忙しそうにしている同僚の業務分担を「私がやっておきますね」と引き受ける習性があるので、16棹ある本 棚のうち10棹の荷造りを私が行う羽目になってしまい、週末は使いものになりませんでした。でも、夫は私が花を見たがっているのをずっと気にしていて、近所の桜が満開だったとか、どこそこの桜がきれいだった、と教えてくれるので、せっかくなので夕方に見に行きました。持参したカメラは壊れていて、携帯電話を忘れたので、写真が撮れず残念でした。駅前の桜並木は名所に数えられているようです。古風な街灯と、落ち着いた雰囲気の個人宅に桜が映えて、良い眺めでした。これこそが日本で最も美しいものだ、と確信しています。
カメラが壊れたついでに、行こうと思っていた蕎麦屋さんの蕎麦が売り切れで入れなかった、というオマケもつきましたが、帰りには彼岸桜と、イチゴも買い、まずまずのお花見でした。
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