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2018年1月2日火曜日

年末年始

クリスマスイブが休日でしたので、夫の誕生日とあわせてお祝いしました。日頃、散々ラクをした挙句に、イベントにかこつけてご馳走を食べて消費活動に走るなど罪深いことですが、普段は残業が好きで、家事が疎かになることが多いので、機会を見つけて掃除や料理を頑張らないと、堕落しそうに思っています。とはいえ、お皿のオードブルはデパ地下から調達したものです。シチュー、サラダ、春巻きを作りました。夫の誕生日プレゼントに、ベートーヴェンのバイオリン・ソナタの楽譜を贈りました。夫は、ドラム式洗濯機をプレゼントしてくれました。雨が続く季節に、晴れ間を狙って洗濯しなければならないのがストレスでしたし、朝4時に起きて、洗濯に費やすのももったいない気がして、乾燥機能付きが欲しいと思っていたからでした。夫は家事の効率化は積極的に進めたいと言い、なんとゴージャスなプレゼントを頂いてしまいました。

お雑煮やお節料理が苦手で、一式買うのも気が引けるので、赤飯などを準備して、彩りだけお正月らしくしてみました。
大晦日に買ったスイセンは、最初3つしか開花していませんでしたが、蕾が開花しました。本はA.S.ByattのThe Children's Bookで、2009年のブッカー賞候補作です。外出も、勉強も家事もサボり、本ばかり読んで怠惰に過ごしています。

ブログをお読みいただき、ありがとうございます。今年も良い年でありますように。




2015年6月28日日曜日

驚異の青い棚 8.モルフォ蝶とラブラドライト



 青く鮮やかに輝くモルフォ蝶は驚異の部屋の中でも一際目を引くものですが、私はチョウやガは苦手です。A.S.ByattのAngels and Insectsに収録されているMorpho Eugeniaの印象が強いです。この作品は映画化もされており、『変態愛 インセクト』という安いアダルト映画のような邦題でDVDが販売されています。でも、内容は良くて、チョウとガも効果的に使われています(昆虫嫌いはますます虫が嫌いになるような使われ方です)。

そんなわけで、私はモルフォ蝶の標本は持っていません。でも、磨いたラブラドライトの様子は少しモルフォ蝶に似ています。ラブラドライトは光が当たっていなければ、川岸に落ちているような単なるグレーの石ですが、光を当てると、角度によって青や黄色、緑などのイリデセンスが見られます。美しいよりも、こんな地味な石が角度によって見え方が変わるのか、と驚くようなものだと思います。

こうやって青いものを収集すると、一口に「青」といっても、その色味、性質、透明度等々、さまざまです。ラブラドライトは、透明ではなく、角度によって色が変わり、しかも一色ではないので、なかなか妖しいものだと思います。光の具合によって変化するところが、6月らしい石です。

2014年11月28日金曜日

【本棚】I.Murdoch, Bruno's Dream


本文と関係ありません

【書誌情報】
Iris Murdoch, Bruno's Dream,1969,Chatto & Windus

【あらすじ】
印刷会社を経営していたブルーノはそれなりの成功を収めたが、80歳を過ぎて、認知症になりかけている。浮気をしたことで最後まで妻の信頼を回復することなく、妻は若くして病死し、娘もまた、若くして溺死し、息子マイルズとは、彼の配偶者を拒絶したことから長く絶縁状態にあった。娘婿ダンビーと、あやしげな看護士のナイジェル、メイドのアデライードに介護をされていたところ、マイルズの妻とその妹も彼を訪れるようになる。一方、ナイジェルの双子の弟、ウィルと、アデライードは恋人関係にあったが、アデライードはウィルにそそのかされて、ブルーノの切手コレクションから、高価な一枚を盗もうとする。

【コメント】
40年間にわたり、全部で26冊の小説を出版したなら当然とは思いますが、マードックの小説は結構玉石混交と言うか、当たり外れが大きいです。長さがあっても、「大外れ」と思うこともあって、それに当たった時はがっかりしますが、それでも読み続けようと思わされるのがマードックの魅力だと思います。当たり外れとはいっても、私は「これはダメだ」と思った作品も、Goodreadsでの評価は高い、ということもあるので、単に自分には合わない、ということです。

Bruno's Dreamは私にとっては「当たり」で、図書館で借りて読んで、すぐにKindle版を買いました。近いうちに再読しなければ、と思います。認知症になりかかっている高齢の男性の回想が、繊細な優しい筆致で書かれています。アルツハイマー病の実際は、生易しいものではないでしょうから、ちょっときれいに書きすぎという気がしますが、文学としては優れていると思います。登場人物それぞれが後悔や悲しみ、鬱憤を抱えているものの、楽しかった思い出とか、抑えたユーモアと巧みに混ざり合って、きれいなマーブル模様になっているのが好ましいです。

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マードックの小説を全部読もうと思ったのですが、22/26冊読んで、The Message to the Planetを読み始め、200頁くらいで頓挫しています。未読の中で、An Accidental Manも読みにくいらしいので、果たして本当に全部読めるかどうか、自信がありません。そこで、道半ばであるものの、これまで読んだ作品を一覧表にしてみました。Aは、ユニークで個性が強い、ストーリーがおもしろい、意外性がある、でCはその反対です。登場人物の多寡や、魅惑者の登場の有無はだいたい客観的に評価できることですが、「キャラクターが個性的か」とか「ストーリーが巧みか」、「総合的におもしろいかどうか」などは完全に主観ですので、ご了承願います。
ついでに、村上春樹ビンゴの真似をして、マードック・ビンゴを作ってみました。もっと色々な種類を作らないと、使いものになりませんが、絶対に誰も遊ばないと思うので、お笑い種にしてください。

なお、英語版Wikipediaには本の内容の美しさや微妙さなどを完全に無視して、無味乾燥にネタバレだけをした粗筋が書かれています。これから読もうと思う方は、Wikipediaのあらすじは事前に読まないことをお勧めします。

2014年9月5日金曜日

一番好きな少女小説



日本でよく読まれている少女小説は、『赤毛のアン』シリーズなのか、『若草物語』なのか、『あしながおじさん』なのか、はたまた、ジェーン・オースティンやブロンテ姉妹なのか(少女小説ではない?)分かりませんが、個人的に一番好きな少女小説はルース・エルウィン・ハリスの「クォントック丘陵四部作」です。他のものよりも頭二つ分くらい抜きん出ている気がします。四人姉妹が主人公なので、「近代の若草物語」などと言われることもあるようですが、本家の方は私はどうにも居心地の悪い部分があって、「クォントック」の方が好みです。

軍人の父親を幼い頃になくし、次いで母親を亡くしたとき、パーセル姉妹の長女フランセスは17歳、四女セーラは7歳でした。姉妹は絵の才能があり、特にフランセスは野心的で、周囲を説得してスレイド美術学校に進学します。しかし、第一次世界大戦が勃発し、次女ジュリアは看護婦としてフランスで勤務し、姉妹の後見人である牧師の息子たちは次々と戦地へ向かいます。三女のグウェンは園芸で姉妹の食卓を支え、セーラは大学進学を目指します。1巻は四女セーラ、2巻は長女フランセス、3巻は次女ジュリア、4巻は三女グウェンの視点から展開します。視点を変え、取り上げる期間を少しずつ長くすることによって、ドラマチックで複雑な、奥行きのある物語になっています。4巻では、第二次世界大戦目前というところまで来ていて、悲劇的ではないものの、さらに暗い時代を予感させるラストです。日本語版の翻訳者による後書きには、「著者は4巻+2巻を構想している」と書かれているのですが、4巻が出版されてから20年以上経っても(販売実績の問題もあるのでしょうが)その後はいっこうに続編が出ません。いつ出版されるかと、ずっと待ち遠しく思っていましたが、作者は、四姉妹とその家族の、第二次世界大戦によるこれ以上の犠牲を書くことをよしとしなかったのだろうか、とも思います。戦争により負傷したり、戦死する主要登場人物もいて、その経緯は1巻の時点で分かるのですが、続く3冊では、その詳細について語られて、巻を追うごとに戦争による悲しみが深まります。四姉妹のキャラクターが非常に魅力的な、品のあるメロドラマであり、読み始めると寝食を忘れるくらいはまり、全巻通読せずにいられません。私は3回くらいは読んだと思います。

大学時代から親しくしてもらっているお友達にも勧めたところ、気に入ってくれて、「夢中になりました。そういえば、子供の頃にはいつもこれくらい本の世界に入り込んでいたと思いました」というお手紙を頂きました。

これまでは日本語訳を読んでいました。脇明子先生の翻訳も、きれいな日本語で読みやすいですが、もともとYA文学なので英語もさほど難しくはないでしょうし、せっかくなら原文で読んでみようと思い、ペーパーバックを揃えました。Kindle版は出ていないので、英米でもそこまで人気はなく、隠れた名作なのかもしれません。

英語で、チキンスープとかマカロニチーズ(日本なら鍋やそうめんなどでしょうか)のような、簡単に作れて、安心できて、ノスタルジーをかきたてるような食べ物をcomfort foodといい、それにならって同様の効果をもたらす本をcomfort bookという場合があるようです。私にとってこのシリーズはcomfort bookだと思いました。私のイギリス(文学)かぶれも、ここからスタートしている気がします。

なお、タイトルは以下のとおりです。
  1.  The Silent Shore or Sarah's Story 『丘の家のセーラ』
  2. The Beckoning Hills or Frances' Story 『フランセスの青春』
  3. The Dividing Sea or Julia's Story 『海を渡るジュリア』
  4. Beyond the Orchid House or Gwen's Story 『グウェンの旅立ち』

2014年6月2日月曜日

Nuns and Soldiers


【書誌情報】
Iris Murdoch, Nuns and Soldiers, Chatto and Windus, 1980

【あらすじ】
ユダヤ系イギリス人で、官僚のガイ・オープンショーと夫人のガートルードはロンドンの高給フラットに暮らす仲の良い夫婦だったが、親切で賢く、親戚や部下から愛され、慕われたガイは44歳で癌により亡くなる。 ガイの、国会議員や医師、弁護士、研究者などの親戚は結束が固く、寡婦となったガートルードを代わる代わる慰問する。また、ガートルードのケンブリッジでの同級生だったアンは、カトリックの尼僧から還俗し、ガートルード宅に滞在し、ガートルードの拠り所となる。一方、ガイの部下で、祖国から亡命したポーランド人の「ピーター」は「伯爵」と呼ばれる憂鬱な青年で、ガートルードに長年想いを寄せているが、ガイの喪が明けてから求婚しようと考える。ガイの世話になっていた売れない画家のティムは困窮し、裕福な未亡人となったガートルードに借金を申し込みに行くと、貸してはもらえないものの、フランスにある別荘の管理と補修を依頼される。ガートルードは別荘を訪れて、ティムと恋に落ち、結婚するが、ティムには直前まで10年間も付き合っていた恋人のデイジーがいた。

【コメント】
1978年のロンドン、カンブリア、プロヴァンスにて、30台の5人ほどの人物を中心とした、片想いの一部始終です。例によって、相関図にあるとおりたくさんの人物が登場します。本書では、ガイ・オープンショーという中心人物をうしなった結束の固いユダヤ人一族ですが、彼らの大半は背景の群集のようなもので、表舞台にはあまり出てきません。主要登場人物は、ガートルード、アン、ティム、「伯爵」または「ピーター」とティムの恋人であるデイジーです。「魅惑者」は登場せず、比較的温厚な人々ばかりで、人を殺したり、決闘したり、誘拐して身代金を要求したりというようなことは起こらず、全体的にすべすべとして手触りが良いです。

ティムとデイジーは、売れない画家志望と売れない小説家志望で、食べる物に困るほど困窮し、ガートルードの家で食料を漁ります。二人は「私たちが安逸に暮らすため、どちらかが金持ちの老人と結婚しないと」と話します。そして、ティムは実際にガートルードと結婚しますが、恋愛結婚であり、結婚した時点で彼女を愛人との生活の資金源にする意図はありませんでした。それでも、(だらしなくも)ガートルードに少し冷淡にされると、度々、すぐにデイジーの下に戻ります。 このあたりはヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』を思いました。

ティムとデイジーが「デンマークの王子」という居酒屋の常連であること、最初の方で人々の要となるような、賢く、思いやり深いガイが亡くなっていること、「ガートルード」が自分よりも若い男性と夫の死後ほどなくして結婚することから、A.S.Byattは「ハムレットが未亡人となった王妃と結婚し、子供のない女性が未熟な若い男性と結婚した」場合の物語である、と述べています。

さらに、かつて大学の同級生であった、アンとガートルードの関係はマリアとマルタの逸話を思わせます。「あなたはマリアで、私はマルタよ」とアンが冗談で言うシーンがあるのですが、それはまんざら冗談でもないようです。ガートルードは、還俗し、行き先のないアンを自宅に滞在させ、アンは友人の財産に頼る生活をしますが、アンに精神的に頼っているのはガートルードの方でした。アンは良き相談相手となり、ガートルードの身の回りの世話をします。アンは理知的であると同時に抑制的で、自分よりも、他人の幸せと恋愛成就を優先します。にも関わらず、最終的には率直で、アンの感情についてはあまり慮るところのなかったガートルードが、幸運を独占します。ガートルードは、騎士道物語におけるミンネのように、配偶者以外に、いつも側にいて愛してくれる「崇拝者」をも確保(?)します。マリアとマルタの話の教訓は、私にはどうも釈然としないのですが、本作でも友人たちのために心を砕くアンが報いられることがないのは、切ない気がします。一生懸命他人に尽くしたから報いられる、とか、直感的に行動してそれ相応の結果になる、ということだと、フラットな寓話になってしまうのかもしれません。
Gertrude, always the princess, had to have whatever she wanted
ガートルードの、まるで神に愛されているかのような幸運さには、合理的な説明はつかず、アンはガートルードを「お姫様だから」と考えます。ガートルードは王妃であり、中世騎士物語の宮廷の貴婦人であり、姫君なのでした。いろいろな小説や逸話の要素を取り入れて、一つのまとまった物語が構築されているのがおもしろいです。

しかし、聖書と違い、キリストと会って会話までするのはアンです。そのシーンはなかなかに神秘的です。すべてを手に入れようとする姫君の懇願を押し切り、アンはガートルードを中心とする宮廷から抜け出します。報われない恋ばかりが多いストーリーではあるものの、芯の強いアンのキャラクターと相まって、清々しい結末でした。

2014年5月24日土曜日

MaddAddam(本)



【書誌情報】
Margaret Atwood, MaddAddam, Bloomsbury Publishing, 2013

【あらすじ】
Oryx and Crake, The Year of the Floodに続く、カナダの作家、マーガレット・アトウッドのMaddAddam三部作の完結編である。
クレイクが発明したブリスプラス薬の普及により、人類はほとんど壊滅状態となった。生き残ったのはクレイクの開発した新人類、「クレイカー」たちの他、クレイクの幼馴染であるジミー、アダム・ワンが率いる新興宗教団体「神の庭師たち」のメンバーであり、前作のヒロインであったトビー、レン、同じくメンバーのゼブ、クレイカーの開発に携わった人々などである。前作は、トビーとレンが凶悪な二人組から仲間のアマンダを救出し、ジミー、クレイカーたちと出会ったシーンで終わっていた(ここまでの説明は、本書の冒頭にあり)が、本作は、生捕りにしていた二人組をクレイカーが保釈してしまったところから始まる。
救出したジミーとアマンダは衰弱し、トビーは看護の腕前を発揮して二人を治療する傍ら、ジミーに代わってクレイカーに物語を語って聞かせ、文字を教える。共に生活する「神の庭師」たちと、クレイカー開発者たちは、自給自足と、打ち捨てられた店から物資を取ってくることにより、概ね平和な生活をする。ゼブは、トビーに自分と兄、アダム・ワンの過去を明かす。しかし、二人組のペインボーラーはまだ近くを徘徊しており、彼らの生活に脅威を与えていた。

【コメント ややネタバレあり】
Oryx and Crakeと、The Year of the Floodという、同じ時期(21世紀のいつごろか)に、別の地点で起こっていた物語は、第二作の後半から徐々に絡まり初め、本作で一つに融合しています。MaddAddamitesと呼ばれる、オンラインゲームMaddAddamのプレイヤーで、クレイカーの開発に携わった人々が、名前とキャラクターを伴って登場し、ジミーやトビー、レンなど前二作の主役たちと共同生活をしますが、彼らは脇役に過ぎません。本作で主役に据えられているのは、「神の庭師たち」のリーダーであったアダムと、その弟のゼブです。

アダムとゼブは異母兄弟で、その父親は石油を至高の存在とみなす、腐敗した新興宗教の教祖でした。二人は父親に反発し、家出をします。ゼブは、ヘリコプターの操縦士や、手品師の助手、コンパウンドの雑用係などの仕事を転々とした後、アダムの率いる「神の庭師たち」に加わります。兄弟は、第一作に登場する前のクレイクと接触があったことが明かされ、クレイクの世界観の形成や、ブリスプラス薬の開発に至った経緯に、アダムとゼブが間接的に寄与していたらしいことも分かります。前作ではほのめかされてすらいなかったことが、本作で明らかにされて行く様は、スリリングです。まるで、大きな一つの風景に、三部作それぞれ別の部分にピントを合わせることにより、徐々に全貌が見えてくるかのようです。

Oryx and Crakeでは、ジミーがクレイカーたちに、クレイカーを創造したクレイクと、動物たちの守護神であるオリクスについて語って聞かせますが、本作でのジミーはこれまでの体験と怪我によりすっかり衰弱しており、もはや語る気力を失い、役割をトビーに譲ります。トビーはジミーから聴いた話と、自分の経験と、創作をうまく織り交ぜて、優れたストーリーテラーとなります。 トビーの物語と、無垢なクレイカーたちのやりとりはユーモラスで、ところどころ大笑いしました。トビーから文字を教わるクレイカーの子供、「黒髭」のキャラクターは、これまで自分が読んだ本に登場する子供の中でも随一のかわいらしさでした。

三部作は聖書のモチーフが随所に散りばめられています。クレイクは新人類を創造した上で、ノアの箱舟の大洪水を思わせる「水なし大洪水」(死に至る病の大流行)を発生させるなど、神のごとき力を持った存在であり、その所業を語るジミーやトビーは「預言者」なのでしょう。楽園と、アダムとイヴの挿話はThe Year of the Floodの屋上菜園と、そのメンバーの「アダム、イヴ」という呼び名に見られます。MaddAddamは、聖書のアダムが動物たちを命名したことをもじって、絶滅した動物の名前を挙げていくようなゲームでした。本シリーズにおける「知恵の実」は遺伝子操作などの行き過ぎた科学技術であり、サタンという、外部に存在する悪魔ではなく、人間の欲望が肥大し、禁断の領域に手を出したことが、世界の崩壊の引き金となります。ジミーにとって、オリクスのイメージがフクロウであり、"owl woman"と呼んでいるのは、オリクスがイヴではなく、リリスであることを示唆しているのだろうと思います。Scales and Tailsは、コールガールが、蛇のような鱗つきの全身タイツを着て、空中ブランコなどをする、というわけの分からないクラブでしたが、ここに見られる蛇もまた、ギリシア神話に登場する、下半身が蛇の女性、ラミアと同一視されることもあるリリスの暗示ではないかと思います。アトウッドの作品にはフェミニズム思想が反映されているので、フェミニズム運動の象徴でもある、リリス的な存在は重要なのでしょう。クレイクは他の人がどう見たかが語られるのみであって、すべてを引き起こした最重要人物であるはずなのに、彼自身の「声」を持ちません。私は、最後にはクレイクの手記のようなものが発見されて、彼の思想が知らされることを期待していたのですが、「神」は「預言者」を通じて語られ、自分の声を持つことはありませんでした。

Oryx and Crakeのテーマが科学、The Year of the Floodのテーマが宗教であるとするなら、本作のテーマは歴史や物語だろうか、と思います。クレイクは、Oryx and Crakeにおいて、人間が表象的思考を発達させ過ぎたことが今日の失墜の原因だ、と言います。
Symbolic thinking of any kind would signal downfall, in Crake's view. Next they'd be inventing idols, and funerals, and grave goods, and the afterlife, and sin, and Linear B, and kings, and then slavery and war. (Oryx and Crake)
そして、表象的思考を持たない存在としてクレイカーを創造したのでしたが、皮肉なことに、本作でクレイカーは、物語や、神のようなクレイクといった、抽象的なものを強く求め、文字を積極的に学ぶようになっています。クレイカーは、ジミーやトビーの物語の源泉を、ジミーの赤い野球帽と壊れた腕時計、及び自分たちが持ってくる魚にあると考えていて、人間が物語をする時の儀式として、帽子をかぶり、時計の音を聴いて魚を食べるように要請します。クレイカーは科学技術の発達の申し子で、衣服なしで生活することができ、闘争本能を持たないように設計されています。しかし、人間と同じように知能や精神を持っているので、記号や物語なしでは生きられません。

本作は、前二作と比べると深刻さが軽減され、楽しく気軽に読めますが、やはり全体のスケールが大きすぎて、最後はやや拍子抜けでした。単に暴力的なだけのペインボーラーと戦って…というのは、それまでの展開を考えるとちょっと卑小な気がします。ジミーやレン、アマンダはあまり前面には出ず、共同生活をするグループの一員として、薄い色で彩色されているように思いました。

MaddAddam三部作をおもしろく読んだので、ハーヴァード大学で開催されたアトウッドの受賞式に行きました。アトウッドと、俳優のジョン・リスゴーの対談を聴きました。小柄な老婦人でしたが、エレガントで、お話はウィットにあふれ、非常に魅力的な方でした。ただ、残念ながら三部作の話はほとんどありませんでした。youtubeには、シアトルで行われた、三部作についての講演がアップロードされているので、見てみます。

2014年5月18日日曜日

The Book and the Brotherhood(本)



【書誌情報】
Iris Murdoch, The Book and the Brotherhood, Chatto & Windus, 1987

【あらすじ】
かつてのオクスフォード大学の同級生である、50がらみの5人ほどの仲間たちは、家族や知り合いを交えて、仲間内の左翼著述家、デイヴィッド・クリモンドがマルクス主義や哲学に関する長大な本を執筆するのを経済的に支えている。このグループのリーダー的存在である元大蔵官僚のジェラードと、彼の親友、ローズを中心として、教師であるジェンキン、官僚のダンカンとその夫人のジーンらは、定期的に集まってパーティや議論を行っていた。しかし、夏至のダンスパーティにて、ジーンがクリモンドに誘惑され、夫のダンカンを捨てて、クリモンドと同棲を始めたことをきっかけとし、すべての登場人物の人生に劇的な変化が訪れる。クリモンドは非常に知的で、多くの女性を魅了する存在であり、ジーンは過去にも彼と出奔したことがあった。
1987年のブッカー賞候補作である。

【コメント】
本書はアイリス・マードックの小説の中で最長で、登場人物も並外れて多いです。人物相関図がないと混乱してくるので、解説として付属していると親切かと思いますが、なかったので仕方なく自分で作りました。オクスフォード卒のインテリで、社会的にも高い地位の仕事に就いて不自由ない生活をし、学生時代からの仲間と親密な交際をして、という羨ましいエリートたちの、複雑に絡み合う人間模様を描きます。

「魅惑者」に抗いがたく惹きつけられる女性、シングルマザーとその娘の確執、ゲイの男性に30年も片思いする女性、友情と愛情、シンボルや魔術、金銭問題など、扱っているテーマも多岐に渡り、その合間にはマルクス主義や哲学、宗教などの抽象的な議論が延々と繰り広げられます。一つ一つのテーマも深く掘り下げられ、本書自体が、クリモンドが書こうとしているような大作であることは間違いないのですが、登場人物も扱う問題も多すぎて、拡散している感があり、途中、同じことを繰り返したり、睡眠中の夢の話が多かったり、やや迷走気味な印象です。

多くのキャラクターが、くっきりとした性格的な特徴を持っているのに、肝心の「魅惑者」クリモンドと、彼と心中を願うほど強く惹かれるジーンは、容姿の美しさ、聡明さと「魅力」が強調されるものの、文章からは、ほとんどその魅力の実態が分かりません。中心に強い光を当てすぎて、陰影が消え、その部分が白く飛んでいる写真のようです。ジーンは、自分が平穏な生活を捨て、クリモンドのもとへ走ったことを
But you must take it that we inhabit two absolutely different worlds. You rely on continuity, you live by a certain quiet seamless order in your life ,it suits you, you've lived and thrived on it, whereas it has gradually suffocated me.
と説明します。ジーンもオクスフォード卒の秀才で、美人で裕福であり、あらゆる輝かしい功績の可能性がありましたが、外交官夫人として夫の成功を支えるという、脇役的な人生を選択します。クリモンドと同棲を始めると、彼に、自分の才能を活かせる仕事を探すように、と勧められます。しかし、そうはせずに、他人の収入と目標を当てにして生きることになります。クリモンドと同棲するジーンは、家政婦のような存在であって、ひたすら彼に尽くし、彼の行き先すら聞かされることはありません。命がけの不倫の結果は、案外空虚です。

不倫の結果は空虚でも、周囲に甚大な影響を及ぼします。拡散していて、あまり集中できない、と思いつつ、私もしっかり物語に取り込まれ、意表を突く破壊力のあるクライマックスに衝撃を受けました。「もう本なんか読みたくない」と言って、毛布をかぶって部屋の隅で壁に向かっていたいような気分になりました。
Vast tracts of his soul no longer existed, his soul was devastated and laid waste, he was functioning with half a soul ... What remained was darkened, shrivelled, shrunk to the size of a thumb. 
それだけのクライマックスを用意しているのに、いろいろ詰め込みすぎで、ラストは消化不良の感が否めません。The Flight from the EnchanterやA Fairly Honourable Defeatでもそうでしたが、あらゆる点で恵まれているキャラクターが、温厚でまじめな人々を散々掻き回した挙句に、自分だけはほとんど無傷のまま抜け出す、というのは何とも不条理です。とはいえ、クリモンドの本は完成します。A.S.バイアットによるマードック論Degrees of Freedomを参照すると、不穏さを含む結末について、以下のように記されています。
The novel is full of real fear that we are at the end of some phase of civilization and can glimpse an incomprehensible world to come.
このbrotherhoodの構成員は、全員が急進的で、左翼の無神論者なので、無垢と純真の化身のように扱われていた、若いタマーがある事件をきっかけとして、宗教に救いを求めるようになると、メンバーが大変なショックを受けて「でも、まさか本当に神の存在を信じているわけではないよね?!」と慌てるシーンがおかしいです。タマーの成長と変化は本書の見どころの一つです。

マードックの作品の中でも大傑作だとは思いませんが、これだけ内容の濃い小説を、40年間で26冊も書いたというのは本当に目覚ましいことだと思いました。また、他の小説にも見られる、実態の不明な「魅惑者」のモデルは、マードックの愛人だったエリアス・カネッティがモデルだというので、カネッティの著作はいずれ読んでみたいです。

2014年5月1日木曜日

Henry and Cato(本)

ティツィアーノ「アクタイオンの死」ロンドン、国立美術館蔵
【書誌情報】
Iris Murdoch, Henry and Cato, Penguin Books他、1976

【あらすじ】
アメリカの大学で教鞭をとる、ヘンリー・マーシャルソンは、兄の死により、先祖代々の広大な屋敷と領地を相続することになり、イギリスに帰国する。家族との確執等の理由で、すべてを手放して、遺産に頼らず生きようとするが、周囲の人々の理解を得ることができない。ヘンリーは、兄の愛人であった娼婦のステファニーを愛するようになるが、出身や性格に共通点のない二人は、衝突が絶えない上、ヘンリーの母ゲルダは息子を幼馴染のコレットと結婚させようとする。一方、コレットの兄ケイトーは、僧職に就き、スラム街で貧者救済活動に従事していたが、突如として神が不在であると考えるに至る。ケイトーは還俗するものの、美しい容姿の泥棒少年、ジョーへの執着を断ち切ることができず、ヘンリーに金の無心をしてジョーに教育を受けさせようとする。ジョーは聖職者としての威厳を失ったケイトーに従わず、悪に手を染める。

【コメント】
善人と優等生ばかりが登場する話は退屈ですが、エゴイストとダメな人と悪人しか登場しない小説を読むのはくたびれます。本書の主要登場人物は、二つの家族です。一方は非常に裕福なマーシャルソン一家で、寡婦であり、愛する息子を喪ったゲルダと、ゲルダに寄生しているルーシャス、ゲルダの息子で、自分は死んだ兄と差別されたと考え、父・兄から相続した財産をすべて処分しようとするヘンリーです。他方は、近所に住むフォーブス一家で、合理主義的で社会主義に傾倒している寡夫のジョン、その息子ケイトー、最近大学を中退した娘のコレットがいます。

マーシャルソン家は財産を、フォーブス家は強固な信念や思想、及び宗教的威厳を、「持てる者」であり、彼らと対照的なのが、もと娼婦のステファニーや、泥棒のジョーです。持てる者と何も持っていない者の交流は対等であるはずもなく、愛情、ひいては欲望を憐れみと混同したが故に、悲劇が起こります。ヘンリーは、「自分の資産を投げうって、地域に不足している住宅を供給したい」という、ケイトーは「神の力で犯罪少年を更正させたい」という理想に燃えます。ヘンリーは幼少期に両親の愛情を得られなかったことについて不満を抱いており、ステファニーに物質的満足を与えることで感謝と尊敬を得ようとするものの、ステファニーにとっては彼の財産こそが魅力です。ケイトーはジョーを更正させるためにヘンリーに金銭的援助を求め、その上から目線の依頼にヘンリーは苛立ちます。ケイトーはジョーを同性愛の対象とみなしているのに、本人も意識せずに慈愛であるとごまかそうとします。ジョーは法衣を捨てたケイトーに従う意味を見出さず、ケイトーの愛情の正体と、彼から金銭を引き出すことができることを見抜きます。ヘンリーとケイトーの独善的な理想主義に反発するのは当然とは思うものの、他の登場人物の享楽主義、犯罪、エゴイズムも不快であり、それぞれが他人を顧みずに突き進むので、読んでいて苦いものが喉の奥にわだかまっているような、気分の悪さを覚えました。先が気になるのに、集中的に読むのは辛く、1頁読んで、他の本を読んで、また1頁読む、というあるまじき読み方をしていました。

それが、7割を過ぎたあたりから急展開を見せ、意外なことの連続で、愚かさが招いた悲劇とも読めるのに、結末はちょっとさわやかな感じにまとめているのがニクいです。「兄の命と引換えに…」といって妹に乱暴しようとするのはシェイクスピアの『尺には尺を』を思わせます。『尺には尺を』は、史上最悪の納得できないストーリーですが、本書は充分説得力のある、きれいな形(といっても、「いい話」ではありません)をとっていて、なるほど、と思いました。

途中まであれだけ嫌な気分にさせておいて、読後感はなかなか良い、というのはヤラレタ感があり、反則のような気もしますが、 不自然さのない急展開は「巧いなぁ」とも思います。マードックは心理描写が容赦なく、内容が緻密で、読書が辛いときもありますが、それにたいして得られるものがいかに大きいかを考えると、やはりやめられません。

日本語訳のタイトルは『勇気さえあったなら』で、これは本文の一節から取られています。『ヘンリーとケイトー』ではまったくおもしろみもないですが、皮肉が込められたおしゃれな邦題だと思いました。

2014年4月18日金曜日

The Prime of Miss Jean Brodie(本、映画)

Anna Pavlova


【書誌情報】
Muriel Spark, The Prime of Miss Jean Brodie, Macmillan,1961
=『ミス・ブロウディの青春』、岡照雄訳、筑摩書房

【映画】
The Prime of Miss Jean Brodie,1969 『ミス・ブロディの青春』

【あらすじ】
エディンバラのマーシア・ブレイン女子校に勤務するオールドミスのブロディ先生は、「今が私の最盛期。この時期を私は教育に捧げ、皆さんを一流に育てる」と豪語する。先生お気に入りの6人の生徒たちは「ブロディ・セット」と呼ばれてとりわけ信頼され、先生の引率で外出したり、お茶に招かれたりもした。ブロディ先生は芸術への関心が強く、同僚の教師との恋愛沙汰もあり、お堅い教師陣とは一味違う存在だった。6人は小学生の頃は先生万歳だったものの、次第に違和感を強める少女もいた。最終的には中の一人の「裏切り」により、先生は退職に追い込まれる。裏切ったのは誰だったのか、また、彼女はなぜ先生を裏切るに至ったのか。

【コメント】
小学校から大学まで、公立の共学に通ったので、男子校・女子校に憧れがあり、「男子校・女子校もの」の小説や映画が大好物です。本書は、6人の少女たちが10歳でブロディ先生と出会い、中年に至る現在までを描く中編です。時系列は一直線に進まずに、小学生の頃のエピソードが語られたと思えば、ブロディ先生の取り巻きの一人が若くして死んだ話に移り、かと思えば別の登場人物の現在の所感が述べられ、そこへ女学生だった頃の妄想物語が顔を出すなど、視点がめまぐるしく転換しますが、不思議と読みにくさはありません。

ブロディ先生は「今が私の最盛期」と自分で言うところからして、かなり変な人です。マッケイ校長先生をはじめとする堅苦しい教師陣や、旧弊な教育に新風を…というと「いい話」になりますが、そうは行かないのが本書のおもしろいところです。ブロディ先生は授業を潰して自分の恋愛体験や休暇の話をして、正規の教育を怠り、芸術に造詣が深いような顔をして偏見と個人的嗜好を披瀝し、挙句の果てには生徒にファシズム思想を吹き込みます。彼女の言うところの「一流(creme de la creme)」って何だったんでしょう、と思います。ブロディ先生を目の上の瘤のように思っているマッケイ先生は、さりげない風を装って生徒からブロディ先生に不利な情報を集め、ブロディ先生は先生で校長先生の思惑を「ブロディ・セット」から聞き出し、お互い、水面下で着々と準備(何の?)を進めますが、結局、ブロディ先生は行き過ぎだ、と考えた生徒により、マッケイ先生の全面勝利に終わります。恋愛に関しても、一見したところ、ブロディ先生が弄んだようで、実は他の人たちの方が上手でした。

女子校という設定からすると、背景に花が咲いていそうな、華やかで甘いイメージがありますが、ミュリエル・スパークの語り口はスパイスが効いていて、意地悪く、ドライです。6人の少女の中には、美少女や秀才もいますが、彼女たちは脇役に過ぎず、中心となるのは容姿と性格の悪いサンディで、しかも彼女の容姿の悪さは何度も繰り返されます。劣等生のメアリーが、その頭の悪い行動故に、早逝したことも強調されます。甘さや華やかさとは程遠い内容で、ブロディ先生にも、取巻きの生徒の生徒の誰にも、共感できる余地はなく、徹底して突き放しているのが痛快です。中編の長さに納めているのも、ピリッとして小気味よく感じます。無駄がなく、密度が濃いです。高校生の時、退屈な副読本を何冊も読みましたが、こういうのを読ませてもらえたら良かったのに、と思いました。

作者は同時代のアイリス・マードックと比されることもあるようですが、二人の経歴は大きく異なり、作品も、マードックは哲学的テーマを扱い、500頁を超える長編が多く、スパークは風刺的で、中編が多いです。それぞれに違う魅力がありますが、いずれも文章は読みやすいです。加えて、スパークは全体的に短くて気軽に読めるため、ちょっとハマりそうです。

小説は数年後に、別の作家によって演劇の台本となり、映画にもなりました。映画は小説と違う部分も多いです。小説ではブサイクという設定のサンディは、美少女のパメラ・フランクリンが演じています。マギー・スミスのブロディ先生は全身から「イタさ」を発しているのがおかしくて、生徒から‘ridiculous’と評されるのも頷けます。スコットランド訛りとはちょっと違うと思いますが、未だかつて聴いたこともないような、気取ったような、気取りすぎて品がないような、おもしろいアクセントの英語をしゃべっていました。

2014年2月23日日曜日

フォンダンショコラ

 
とけたチョコレートのタンク
"I like our new lettering," he said thoughtfully. The words "Stewart Ansell" were repeated again and again along the High Street—curly gold letters that seemed to float in tanks of glazed chocolate.
(Edward Morgan Forster, The Longest Journey)
バレンタインデーにフォンダンショコラを焼きました。以前作ってお弁当に入れたら、夫から「チョコレートケーキがうますぎて、もう生きていけない」(?)というメールをもらったからでした。フォンダンショコラのレシピはいろいろありますが、その多くはチョコレートケーキを生焼けで食べる感じで、抵抗があります。このレシピは、ケーキ生地とガナッシュを別仕立てにしているので、ケーキ部分にしっかり火が通るかと思って、これを使いました。小さいラメキンで作りました。

フォンダンショコラは焼きたてを食べて、溶けたチョコレートが出てくるところに特徴がありますが、夫は冷やした方が好きだと言うので、冷やして出しました。手作りチョコレートは嫌厭される向きも(たしかに、とかして固めただけのはイヤ、というのは分かります。溶かさない方がおいしいです)チョコレートケーキなら喜んでもらえるかも?!

引用はE.M.フォースターの『果てしなき旅』の一部分ですが、これは結婚に失敗する話で、バレンタインデー向きのラブストーリーとしては同じ作者の『眺めのいい部屋』の方が良いと思います。なお、「とけたチョコレートのタンクに渦巻いた金色のレタリングが浮かんでいるような」表札は、信じられないほど悪趣味だと主人公は評しています。

2014年1月30日木曜日

The Time of the Angels(本)

【書誌情報】
Iris Murdoch, The Time of the Angels, 1966

【あらすじ】
第二次世界対戦直後のロンドン。英国国教会の牧師、キャレルは、24歳になる娘のミュリエルと原因不明の病気で床を離れられない美しい姪のエリザベス、使用人のパティ、革命によりロシアから亡命してきた門番のユージーンと共に暮らすが、「神は死んだ」と言い、牧師としての勤めを果たさず、来客も一切受け付けない。しばしば牧師を訪ねてくるアンシア・バーロウは常に門前払いされ、兄や姪を心配して訪れる弟のマーカスすらも、追い払われる。異国で疎外感を持つユージーンは、黒人との混血で自分をアウトサイダーとみなすパティに共感し、好意を抱く。息子のレオ以外の家族を亡くし、孤独なユージーンの心の拠り所となっていたのは、ロシアから持参した聖三位一体のイコンと、パティとの友情だった。しかし、息子は虚言癖のあるトラブルメーカーだった。レオと知り合ったミュリエルは、囚われの姫君のごときエリザベスの存在を打ち明け、レオは会わせて欲しいとせがむ。ある日、ユージーンのイコンが忽然と消える。

【コメント】
マードックの小説には時に、善いところが一かけらもないような邪悪な人物が登場し、物語の中心的役割を果たします。たとえば、The Green Knightのルーカス、A Fairly Honourable Defeatのジュリアスなどが挙げられます。そういった人物は優れた容姿に加え、並外れた頭脳と魅力を持ち、周りの人々を巧みに操り、忌み嫌われるどころか、人々に尊敬され、愛され、心配される対象です。本作では、無神論者である牧師のキャレルがその人にあたります。

キャレルは「神は死んだ。現在の信仰では天使が台頭した」と高尚なあまりよく分からない話をしているだけで引きこもって何もせず、同居の姪、エリザベスは病人で家から一歩も出ず、娘のミュリエルは父親から就職活動をするように促されているものの、従妹の看病と詩作に打ち込むニートです。使用人のパティは門番のユージーンと交流を深めますが、牧師とその家族に束縛されており、本人もそのことを強く意識しています。エリザベスの原因不明の病気は、どうやら仮病であり、他の人々も薄々そのことを感付いていますが、最大の庇護者であるキャレルはむしろ彼女を積極的に閉じ込め、世間との接触を断たせようとします。もちろん、そこには牧師のよからぬ意図が働いています。

パティも含む牧師一家は世間から孤立している分、結束の固い共同体のようですが、実のところディスコミュニケーションの塊で、お互いのことを理解していません。それぞれ異なる思惑を持ちながらも、黒い中心のようなキャレルに、同居する人々のみならず、弟や隣人も惹きつけられます。しかし、キャレルの力とは無関係のところにいるユージーンとレオの父子が、聖三位一体のイコンを媒介として一家に接触すると、共同体は中心を失い、内側から決定的に崩壊します。
After all there was no salvation, no one to call the lapsed soul or weep in the evening dew. The house had fallen down. Nothing was left to Pattie except a last desire to tear and destroy.
キャレルには愛情と見せかけた嗜虐性によって拘束され、ミュリエルには敵対視されていたにもかかわらず、牧師一家から逃れられないと感じていたパティが崩壊を目の当たりにしたとき、彼女は'last desire to tear and destroy'を抱き、これまでに混血の使用人という立場のために抑圧させられていた感情が噴出します。

本書における崩壊は大きな音をたてて崩れ落ちるがごときものではなく、映画で急に無音になる時のような印象です。強固で重厚に見えていたものが、実際は舞台装置のように中身がスカスカで、簡単に壊れるかのような。その呆気なさは、キャレルの求心力によってのみ、つながっていた共同体の脆さを示しているのでしょう。キャレルが語る宗教観は私には理解できませんでしたが、難しいことを言う割に、その行動は倫理に欠けているので、彼の話の本質も、弱く薄いものだったのかもしれないなと思います。崩壊は開放でもあるのですが、爽快感はありません。キャレルを巡るミュリエル、エリザベス、パティという女性たちは、邪悪な存在が拠り所であったためか、芯がなく、ラストに不安が色濃く残ります。

アンドレイ・ルブリョフ「聖三位一体」

パレフ塗

白鳥の湖
ユージーンとレオのペシュコフ父子はロシアから亡命してきました。イコンの他、パレフ塗りの箱や、チャイコフスキーの音楽といったロシアのものが描写されます。女性達にとってキャレルが中心であったように、イコンとロシアの思い出がユージーンの核であるようです。イコンは絵でしかありませんが、キャレルの存在と対照的に書かれています。キャレルは音楽を愛好し、ユージーンはイコンを大切にしていることや、家族との関係においても、frailなものとsolidなものが対比されているのだろうと思います。それらはパティによって少し近付きますが、最終的には全く混じり合うことがなく、そのことが重い読後感の一因となっているようにも思います。

2014年1月21日火曜日

The Year of the Flood(本)

バビロンの空中庭園
【書誌情報】
Margaret Atwood, The Year of the Flood,Bloomsbury Publishing, 2009

【あらすじ】
Oryx and Crakeで、疫病を生き残ったスノーマンがラストシーンで見た、焚火のまわりの三人は誰だったのか?
巨大な権力を持つ、悪の中枢のごときコープスコーに支配される世界。豪奢な生活を送る科学者たちのコンパウンドとは対照的な、貧しいプリーブランド出身のトビーは不幸ないきさつで両親を亡くす。原材料不明の肉を使用する怪しげなバーガーショップ、シークレットバーガーに勤め、そのサディスティックな経営者のブランコに無理やり愛人にさせられる。命の危険を感じたトビーは逃げ出し、アダム・ワンが率いる菜食主義者のカルト集団、「神の庭師たち」に加わり、屋上の菜園の庭師となる。「神の庭師たち」は農産物の自給自足や廃物利用で暮らし、アダム・ワンは「人類を破滅させる、ノアの洪水の再来のような第二の洪水に備えよ」と説く。トビーはそこでカリスマ的なゼブや、少女レンと出会うが、ブランコが自分を追っていると知り、逃れて高級スパのマネージャーとなる。母親がゼブと駆落ちしたことにより幼少期に「神の庭師たち」に加わったレンは、後に母親に連れられてコンパウンドに戻るが、長じて「鱗と尾」に就職し、鱗の着いた全身タイツを着て空中ブランコに乗るコールガールとなる。そこでレンはクレイクやオリクスと出会う。

【コメント】
マーガレット・アトウッドのサイファイ三部作、MaddAddamシリーズの、Oryx and Crakeに続く第二作です。本作の主人公はコンパウンドで科学者の子息として物質的には不自由なく成長したジミー(スノーマン)とは反対に、貧しい地域でカルト宗教団体に所属するトビーとレンという二人の女性です。各章はアダム・ワンのスピーチ、トビー視点からの回想、レンの語る回想という構成になっています。はじめはOryx and Crakeと同じ時期の、別の場所での関係ない登場人物たちの物語のようですが、話の進行に従って徐々に前作の登場人物たちが顔を出し、最後はOryx and Crakeのラストにぴったりと重なります。前作よりも読みやすいとはいえ、アトウッドの英語は難しく、描かれる「世界の終わり」はなかなかに悲惨です。しかし、本書を最後まで読むと、前作で曖昧だった部分や、見えなかったものが、異なる角度から見ることによってくっきりとした輪郭や色彩、立体感を帯び、緻密で奥行きのある世界が立ち上がるような思いがします。

スケールの大きな世界と、細部とをバランス良く書き込んでいて破綻がなく、絵画の傑作を見たときのような感動をおぼえます。おもしろい細部の一つは、聖書への直接的な言及です。カルト宗教団体の庭はディストピアにおけるユートピアであり、庭師たちは廃屋の屋上に菜園を耕作してEdencliffと称し、集団内の指導的な立場にあるメンバーに「アダム/イヴ・番号」という称号が与えられます。屋上菜園は私にはエデンの園だけでなく、バビロンの空中庭園をも思わせました。トビーはアダム・ワンの説く「神の庭師たち」の教義に疑問を抱いていますが、回想の中では、庭は楽園なのでした。

サイファイ的な小道具として、遺伝子操作により創造された異様な動物たちや、カニバリズム、顔まで隠れる鱗付きの全身タイツなどがあります。特に印象的だったのは、トビーが卵子提供をするシーンです。文学で(文学以外でも)女性がギリギリまで困窮すると売春するというのはよくあることで、実際、本書のもう一人のヒロインであるレンはコールガールとなりますが、トビーは最終手段として卵子を提供し、摘出手術に失敗して「あなたはもう妊娠・出産はできません」と言われます。最近はインターネット上でも、あたかも手軽に一定のお金を得る手段であるかのように卵子提供がさかんに宣伝されていて、見る度に違和感という以上のものがあるのですが、現代社会こそがサイファイじみているのであって、アトウッドは今のこの世界と充分つながりのある世界として、本作を書いたのだろうと思いました。ありそうもない物事の隙間から時折顔を出すリアリティにひやりとします。行き過ぎた遺伝子操作や殺し合いゲームの観戦なども本当はそこまで「ありそうもない」ことではないのかもしれません。

トビーはやや皮肉な視点を持った知的な現実主義者で、レンは無垢で子供っぽい少女です。二人の対照性は文体の違いにもあらわれていて、トビー視点の物語は三人称で客観性があり、レンの物語は語彙もあまり洗練されていない、子供らしい語り口の一人称です。いずれも、教育があるものの、錯乱ぎみのスノーマンの語りとも、やたらと壮大なことを言うアダム・ワンの説教とも違っていて、使い分けが興味深いです。この世の終わりにおける、二人の心理の機微は精密に書かれていて、方向性の異なる女性らしさがうかがわれます。レンの母親のルサーン、レンの友達で抜け目ない美人のアマンダ、庭師仲間のヌアラや、ジミーのルームメイトでもあったバーニスなど、複数登場する女性キャラクターがそれぞれに個性的で、女の見本市(?)の様相を呈しています。クレイク、スノーマン、アダム・ワン、ゼブ、ブランコ等々のキャラクターも立っていますが、性格描写は女性たちと比べると粗いように思います。共通点のほとんどないトビーとレンですが、トビーはストーカーから身を隠すために(整形)、レンは面識のある人々から逃れるために、また顔が認識されることによる危険を避けるために(鱗スーツ)アイデンティティを隠します。アマンダは「生き延びるために、IDを捨てた」と述べており、女性のアイデンティティ問題も本書のテーマの一つとなっています。アトウッドはフェミニストらしいので、この点について分析するのも意味がありそうですが、分析はさておき、私はトビーが頭に羊の毛を植える整形をし、羊の臭いにひかれて、朝、目が覚めたら猫が頭を舐めていた、というのがユーモラスだと思いました。

英語のレッスンの課題図書として読んだので、先生にいろいろな言葉遊びについて教えて頂きました。たとえば
  • CorpSeCorps 表向きは会社(corporation)の結合体だが、恐怖政治により死体(corpse)を大量生産しているという裏の意味がある
  • painball paintballという実在するゲームをもじっている。作品中では死刑囚が殺し合い、人々がテレビでその様子を観戦するというもの
  • Rejoove co. rejuvenate「若返らせる」に由来
  • Anoo Yoo A New Youをもじっている
などです。

日本語訳は出版されていませんが、本書を読むと『オリクスとクレイク』がいかにもやもやした雲をつかむような話だったことか、と思うのでぜひとも2巻以降の出版が必要と思います。

三部作完結編のMaddAddamを読書中です。疫病によって人々が死に絶え、スノーマン、「神の庭師たち」と新人類クレイカーが生き残った世界で何が起こるのか、楽しみです。一緒に読んだ夫のレビュー

2014年1月13日月曜日

A Severed Head(本)

オーデュボンの鳥
 【書誌情報】
Iris Murdoch, A Severed Head, Penguin Books, 1961

【あらすじ】
ワイン商のマーティンは美しい妻と若く魅力的な愛人を持ち、「自分は世界を手に入れたようなものだ」と考えるほど人生に満足しきっていたが、妻のアントニアに「精神分析医のパーマーと結婚することにしたので、離婚してほしい」と言われる。妻の離婚宣言は晴天の霹靂だったが、マーティンは紳士らしく穏やかに対応しようと決める。アントニアの依頼でパーマーの妹を駅まで向かえにいくことになったマーティンは、魔女のようなオナー・クラインと出会う。オナーは神出鬼没で、行く先々に現れてはマーティンを翻弄する。

【コメント】
アイリス・マードックの小説はできるだけ読んでコメントを書こうと思って読んだのですが、本書はがっかりするものでした。ひたすらワインとウィスキーと痴情のもつれが主題で、男3、女3の主要登場人物が、最終的にはほとんど全部の相手と関係を持ちます。マードックの作品の特徴は、物語が7割以上進んだ時点で、すべての伏線を回収しつつ、圧倒的な力ではっとさせられるような結末へ導くところにあると思うのですが、本書に関しては9割以上進んでもいっこうに着地点が見えません。最初から最後まで「AはXと関係を持った。次にYと関係を持った。それから自分の本当に求めるものはZの愛であると気付き、最終的にZの元へ行った」というつまらない話に終始しています。後期の作品に見られる、物語のスケールの大きさや、知的で刺激的な部分もあまりなくて、マードックはこんな凡庸な小説も書くのか!とさえ思いました。

印象的だったのは、奇妙なつかの間の交流しかなかったものの、主人公であるマーティンが強くひかれていたオナー・クラインとの別れの描写です。こういった、人間の心理の微妙さを繊細に書くところがマードックの良さかなと思います。
In that instant a communication passed between us, and even as it did so I reflected that it was perhaps the final one. I did not imagine it; she gave me a very slight shake of the head and a curtain came down over her eyes.It was a decisive and authoritative farewell: (...)It was our first and last moment of intimacy, vivid, but concentrated to a solitary point. 
タイトルの「切られた首」は学者であるオナー・クラインがマーティンに対して、「あなたにとって、私は未開民族にとっての切られた首のようなものだ」という、よく分からないような分かったようなことを言うのに由来しています。また、主人公の愛人が自殺未遂をするシーンが本書のハイライトになっていて、その直前に愛人は自分の長く厚い褐色の髪の毛を切って、細長い箱に入れて主人公に送ります(怖)。小包に入っていたのは髪の毛だけでしたが、切られた頭を送ってきたという連想も可能であると思います。

ただ単に「読みました」という事実を作るだけの読書になってしまった気がします。著者がマードックでなければ、途中で読むのをやめていました。私の読解力のなさが悪いのですが、こういう読書に果たして意味があるのか、分かりません。なお、トップ絵の「オーデュボンの鳥」の版画は主人公と奥さんが家にずっと飾っていたもので、離婚に際しての財産分配で、二人の一番の関心の対象でした。最終的には複数枚あったものを二分割しましたが、自分のお気に入りを持っていかれてしまった、とわだかまりを残します。本書の結末もまさにそのように、あまりすっきりしないものです。

2014年1月11日土曜日

A Word Child(本)


あまりうまい絵付ではない気がするが

真似して描いたらしいこれはちょっと酷すぎる。腕が生えている位置がおかしいし、顔がへのへのもへじ。
(ボストン美術館所蔵。本文と関係ありません)

【書誌情報】
Iris Murdoch, A Word Child, Chatto & Windus, 1975

【あらすじ】
ヒラリー・バードは貧しい孤児で、妹とともに恵まれない少年時代を過ごす。しかし、彼は語学に天賦の才能を示し、オックスフォード大学に学び、研究者の仲間入りをする。自らの才能と努力により惨めな境遇を脱却し、栄光の道を駆け上るかに見えたが、オックスフォードの先輩、ガンナーの美しい夫人と不倫関係に陥った上に、とりかえしのつかない過ちを犯す。ヒラリーはこれをきっかけにアカデミックから身を引き、公務員として地味に貧しく勤める。彼は栄光への未練を捨てたかのようだったが、常に鬱屈した思いを抱えていた。ヒラリーには変人ではあるものの、一途なガールフレンドのトミーがおり、最近は「ビスケット」と名乗るエキゾチックな美人が自分に接近してくるのが気になっているところである。一方、ガンナーは研究の世界から離れつつも、各方面で華々しい活躍を見せ、ヒラリーとの間には十数年間交流がなかった。ヒラリーは自分の上司としてガンナーが就任すると聞き、動揺する。

【コメント】
冒頭からマードックらしく複雑に絡み合う100人ほど(大げさ)の登場人物が入り乱れ、饒舌であり、始め2~3割は主人公の退屈そうな公務員生活と、魅力のうすいガールフレンドとの関係が延々と綴られ、あまり乗れません。でも、才能があったにもかかわらず、ヒラリーがそれを活かして成功しようとしなかった経緯が語られると、俄然おもしろくなります。

先輩であるガンナーの夫人と不倫の恋をして身を滅ぼしたヒラリーですが、長い間音信不通だったガンナーが上司として就任すると、運命が過去をなぞらせるかのように自分を導いていると考えます。興味深いのは、全篇、主人公が一人称で語っているにもかかわらず、同時に突き放した第三者の視点を感じることです。主人公は嫌味な性格で、自分だけが並外れた知性を持ち、他の人たちの何倍も苦しんでいるが故に特別で重要だ、という思いと、人生の落伍者であるという思いが折り重なって屈折しています。嘲笑と劣等感が常に表裏一体の自分語りはちょっといたたまれない思いがしてくるほどですが、主人公に共感の余地はなく、読み手と語り手の間のギャップの存在を意識させます。

緻密に構築したカタルシスを、無残に180度ひっくり返して、主人公が冒頭にいた場所よりも悪いところに沈んでしまうという、重たい内容です。主人公が救われたように錯覚したのは、実は自然発生的なものではなく、純粋でない思惑の下、薄氷の上に巧妙に作り上げられたカタルシスでした。故に、軽い力で持ち上げただけでシーソーのように跳ね上がり、はずみで極寒のテムズ川に落ちて死にそうな思いをして、救われないのも無理もないかもしれません。マードックは、The Good Apprenticeでも意図しない殺人と贖いをテーマとしていたところ、本作でも同様のテーマを扱っています。両作品において外部からの救済はありえないのですが、本作では救済自体が不可能である、という暗澹とする結論が提示されていて、400頁読んだ挙句にそんなことを言われるのは辛いと言わざるを得ません。

マードックの小説の中心となる登場人物はオックスブリッジ出のインテリであることが多いです(マードックはオクスフォード出身で、ケンブリッジにも在籍していたことがあるそうです)。その人たちはその人たちで思い悩んだり理屈をこねこねしたりして楽しそうなのですが、他の登場人物と比べると学がなくて、単純で率直で、心が清らかな登場人物が脇役で登場し、肝腎の場面で目覚ましい行動に出る、ということがよくあります。本書では主人公の妹、クリスタルがその役目を担っています。ヒラリーとクリスタルは非常に近しい間柄ですが、本質は正反対です。陰鬱な内容で、登場人物は屈折した変な人ばかりですが、クリスタルの存在だけがかすかにキラッと光るようで、Crystalという名前にはちゃんと意味があるのだろうと思わされます。

2013年12月20日金曜日

A Fairly Honourable Defeat(本)


 How can one live properly when the beginnings of one's actions seem so inevitable and justified while the ends are so completely unpredictable and unexpected?(Iris Murdoch, A Fairly Honourable Defeat)
【書誌情報】
Iris Murdoch, A Fairly Honourable Defeat, Chatto & Windus, 1970

【あらすじ】
ロンドンに暮らす官僚のルパート・フォスターは、郊外にプール付きの家を構え、妻のヒルダとは結婚20周年を迎える現在でも仲がよく、善についての哲学書を執筆中である。自分の同僚であるアクセルと同性愛関係にある弟のサイモンや、オクスフォード大学を休学中の問題児の息子、ピーターのことなど懸念がないわけではないものの、概ねイギリス中産階級の理想的な生活をするルパートであるが、アメリカから帰国した義妹のモーガンが家に滞在することになり、平穏な生活が陰りを見せ始める。モーガンは貧乏で冴えない夫、タリスを捨てるも同然に渡米し、現地で悪魔的な魅力のジュリアスと不倫関係に陥った。モーガンとジュリアスの仲は既に破局していたが、時を同じくしてジュリアスもロンドンに渡り、モーガンを挑発して二人はとある賭をすることになる。

【コメント】
本書はワクワクする内容で、興奮しすぎて眠れなくなり、眠いのに読んでいたら頭が痛くなりました。突然やってきて、特に自分と利害関係があるわけでもない、平穏な人間関係を徹底的に破壊し尽すジュリアスの悪党ぶりは、気分が悪くなりそうなのに、目が話せません。

ジュリアスは聡明な美男子で、魅力に溢れ、旧友のアクセルにその「倫理的な魅力」を賞賛されるほどです。しかし、実態は自分の力を誇示し、観察して楽しむためだけに、他人を陥れてまったく罪悪感を持たない性格です。ジュリアスは、元恋人のモーガンに、「自分はどんなに強固に見える人間関係をも簡単に破壊して見せる」と宣言し、モーガンの身内をその標的にします。感情がほとんどなく、刺激を求めることなどから彼はいわゆる「サイコパス」ではないかと思います。「悪い」ということが彼の最大の特徴で、他にはほとんど際立った性格を持っていないような、不思議なキャラクターでもあります。英語版Wikipediaには北欧神話の「ロキのような」と書かれています。私にはシェイクスピアの『オセロー』に登場する悪党、イアーゴーを思わせました。20世紀のイアーゴーは、エリザベス朝のイアーゴーよりもはるかに手の込んだ策を弄し、人々に大きなダメージを与えます。

マードックの小説には時折ゲイのカップルが登場します。本書に登場するのは40代の官僚と30歳くらいのフェミニンな男性のカップルです。年上のアクセルを子犬のように慕うサイモンと、威厳を見せながらも、実はツンデレ(?!)なアクセルの二人は、互いに純真な愛情を抱いていて、甘酸っぱいです。アクセルの誕生日のために一生懸命料理したのに、ジュリアスにめちゃくちゃにされて焦げた料理の前で泣くシーンが切ないです。

他にも一癖あるキャラクターばかりで、彼らの繰り広げる人間模様と会話が刺激的です。会話文が多いので読みやすいです。ジュリアスの仕業はひどいものですが、登場人物たちの欺瞞が暴かれていく様は痛快でもあります。

非常にまじめな作品ではありますが、ところどころ部屋の隅で壁に向かってニヤリとしたくなるようなギリギリのユーモアが散りばめられています。たとえば
  • 呼び出された挙句に呼び出した本人は不在で、偶然により服をとられて裸のまま待ちぼうけをくらう
  • 別居中の妻に「私の荷物を持ってきてよ」と言われ、手押し車に荷物を積んで持って行ったら、なんで車で来ないの、と言われ、「持っていないから。下り坂だから問題ないよ」と言うところ
  • 誕生日プレゼントに嫌がらせとして大きなピンク色のくまちゃんを贈られ、どこかに置き去りにしようとするものの、あやしまれるばかりでなかなか捨てることができない
などです。また、マードックの作品は小道具の使い方が印象的です。とりわけ、石や宝石はよく登場し、本書では孔雀石のペーパーウェイトと琥珀のネックレスがちょっとした役割を担っています。他の作品で扱われていたのは、水牛の角、琥珀、ラピスラズリなどで、並べてみるとマードックの好みが少し分かるような気もします。

悪がのさばって、人々が罠にはまり、収拾がつかなくなってきたところへ、颯爽とあらわれた意外な登場人物が、もつれた糸を鮮やかに解きほぐします。タイトルのA Fairly Honourable Defeatの意味するところは、悪であるジュリアスが賭に負けたこと、汚い家で埃にまみれて惨めな生活をし、他の登場人物より経歴も劣るような「彼」にジュリアスがまんまとやられたことを指すのかと思いましたが、Wikipediaにはそれとは正反対の解釈が示されているので、私の読み方がおかしいのかもしれません。日本語訳が出版されていないのが残念ですが、これまで読んだマードック作品の中では、The Green Knightと並んで娯楽性が強いと思います。(なお、人物相関図はふざけた感じですが、本の内容はまったくこんなふうではないです)

2013年12月4日水曜日

The Good Apprentice(本)

ギュスターブ・ドレ(『神曲』は関係ありません)
【書誌情報】
Iris Murdoch, The Good Apprentice, Chatto & Windus,1985

【あらすじ】
ロンドンでフランス文学を学ぶエドワードは、同級のマーク・ウィルスデンに麻薬入りのサンドイッチを与える。エドワードがガールフレンドからの呼出しに応じている間にマークは窓から飛び降りて死んでしまう。裁判では事故死と認定され、エドワードが法律上の罪に問われることはなかったが、彼は殺人者としての自責の念に苛まれ、抑鬱状態に陥る。たまたま訪れた降霊会で「父を訪ねるべし」というお告げを受けたエドワードは、継母からの招待状を受けとり、高名な画家で、生き別れとなっていた父のジェスを訪ねる決心をする。継母と腹違いの姉妹たちは森深く、塔のある大きな家で自給自足の生活を営み、エドワードを温かく迎えた。しかし、エドワードが「父親はどこか」と尋ねてもはぐらかされるばかりで、なかなか会うことができないのだった。一方、エドワードの叔母は彼の継父と不倫の関係を持っていた。

【コメント】
アイリス・マードックの小説は長く、あらすじを読むとなんとなく辛気臭いですし、文章もすごく読みやすいとは言えないので、これを読むのは大きくて硬い木の実の殻か、石をこつこつと砕くようなものだと思います。でも、殻や石の中には味わい深いナッツとか、キラキラ輝く水晶が隠されていて、読み甲斐があります。

「うっかり人を殺す」という罪を犯した主人公のエドワードは救いを得るべく(実はこっそりと仕組まれた)超自然的な力や、偶然に導かれるように人里離れた森に住む父のジェスと継母、姉妹を訪れます。女たちは長いドレスに金髪の姉妹のようで、食べるもののみならず衣服や家具も手作りする浮世離れした生活をしていました。継母と姉妹は、愛人の子であるエドワードを親切に迎えます。朽ちかけた家には塔があり、夜になると森からバンシーの泣く声すら聞こえるほどでした。まるで中世騎士物語かおとぎ話の世界ですが、塔に閉じ込められているのはお姫様ではなく、耄碌しかかっている男性です。

おとぎ話のように物事が進むはずもなく、エドワードがジェスを発見し、家族の関係が明かになるにつれ、善意に満ちた無垢な乙女のような彼女達の本性が露になります。エドワードは幼少期以来、会ったことのなかったジェスが自分を覚えていることに感激し、彼を神格化します。やっとの思いで再会した父親は、自分が罪を乗り越える手助けをしてくれるに違いない、と考えるエドワードは必死にすがろうとします。しかし、ジェスはもはやかつての栄光も生活能力も失っており、エドワードの手からすり抜けます。人としてほとんど抜け殻状態であるにもかかわらず、カリスマ性が残っているジェスの描写が興味深いです。

本書のテーマは「罪からの救済」と「不倫の愛」だと思います。ただ、人々の意識の中心にある神のごとき存在のジェスは非常に頼りなく、エドワードも、義兄と不倫関係にあるエドワードの叔母、ミッジも結局は「神」とつかの間の接触をした後、自ら救いを模索するしかありません。本書がどれくらい宗教的なものを重視しているか、私には分かりませんが、神のような存在による一方的な救済ということはありえないのだろう、とは思います。

本書の主人公がエドワード、女主人公がミッジであるなら、第三の主人公はエドワードの母の再婚相手(ミッジの不倫相手)の連れ子である謹厳なスチュアートです。彼は禁欲的な生活をして、聖職者か、なにか他人に奉仕する職に就くことを望み、自らの信条にしたがって思ったことを率直に言いすぎるので、家族や親戚に鬱陶しがられます。スチュアートは、超然とした態度で、相手の感情にまったくそぐわない、理想論的なお説教を何度もします。その度にものを投げられたりして追い払われるのに、懲りずに同じことを繰り返して、最後には「学校教師になる!」という彼がおもしろくてすてき過ぎます。

なお、かなり多くの人物が登場するので、もしも読もうとする場合は人物相関図を作成されることをおすすめします。

2013年11月27日水曜日

Oryx and Crake(本)

ルーカス・クラナハ(父)「エデンの園」
【書誌情報】
Margaret Atwood, Oryx and Crake,Doubleday, 2003

【あらすじ】
人類がほぼ死に絶え、「クレイカー」と呼ばれる新人類と遺伝子操作で作り出された奇妙な動物たちの存在する文明の崩壊した世界で、スノーマンは過去を回想する。スノーマンはかつてジミーと呼ばれ、父親は遺伝子操作関係の科学者だった。ジミーは学校で非常に優秀な少年、クレイクと出会い、親しく付き合うようになる。クレイクとジミーは共にオンラインゲームをしたり、ポルノ番組を視聴し、ある日児童ポルノに出演していた印象的な眼差しの少女に強くひかれる。クレイクが遺伝子操作関係の研究職に就き、豪奢な生活を送る一方で、ジミーはコピーライターとなる。ジミーは自らの境遇に不満を持っていたが、クレイクの勤務先の宣伝係として抜擢され、そこで児童ポルノに出演していた少女、オリクスと出会う。2003年のブッカー賞候補作。

【コメント】
マーガレット・アトウッドのMaddaddam三部作の第一作です。ここで書かれる世界は現代とつながっている近未来で、22世紀~25世紀頃を想定しているのではないかと思います。遺伝子操作、ディストピア、新人類などが登場し、サイファイ色が濃いと同時に、様々な文学作品への言及も見られます。

高度な語彙が多く登場し、文体も微妙で複雑であり、しばしば何について書かれているか見失いそうになる、難しい小説でした。英語のレッスンで読んだのですが、先生は「叙述的ではなく、思考についても事実と区別せずに書いたり、時間軸を操作したりしているから読みにくいのだと思う」とおっしゃっていました。また、どうやら何か大事件が起こって人類がほぼ絶滅し、重要人物であるオリクスとクレイクも今はいないらしいことは冒頭から分かるのですが、その原因については物語の8割くらいまで説明がなく、終盤に至ってからここへ至った過程が一部、説明されます。しかし、崩壊した世界で主人公、スノーマンがこの先どうやって生きていくのかは知らされない、オープンエンディングです。読みにくい上に、まだまだ分からないことばかりなのに、不思議な雰囲気にのまれ、読み終わるとぜひともすぐに第二作を読まないと、と思います。(第二作は3割程度読んだところですが、本書よりもはるかに読みやすいです)

スノーマンはクレイカーたちに「クレイクは万能の神で、クレイカーを創造し、オリクスはすべての動物を創造した」と教えます。新しい人類や動物の創造は本書の主題の一つで、そのことから旧約聖書の創世記を思わせます。また、Wikipediaによればコールリッジの「老水夫行」、カート・ヴォネガットの作品からの引用もあるそうです。私が特に意識したのはヴァージニア・ウルフの『波』の影響です。浜辺に6人の子供たちがいる描写から始まり、波の音や小鳥のさえずりなどの擬声語が多用され、太陽の位置により一日の時間帯が表されるなどは、まさに『波』のとおりです。

本書に書かれる世界の終わりは、遺伝子操作により創造された気味の悪い動物が跋扈し、わけの分からない病気が流行し、ひどい格差社会で、無政府状態となり、コープスコーなる黒い組織が人々を操るという、救い難い様相を呈しています(蛇足ですが、Corpse Corps Boardという会社が実在するようです。スケートボードの会社です)。繊細で文学的な文章と、現代の世界が最悪の形で発展したかのような近未来の描写が絶妙に溶け込んでいます。センセーショナルかつ静かな諦めを感じさせる作品であり、現代社会の問題の根本を問うているようでもあります。高校や大学の講義で課題図書となることも多いらしく、Spark Note(教科書リーダー、虎の巻)も出版されています。

三部作であるものの、日本語訳は『オリクスとクレイク』のみが出版されています。本書を読んだ感じだと、まだまだ始まりに過ぎない印象です。

2013年11月24日日曜日

カズオ・イシグロ『充たされざる者』

この本の読後感
【書誌情報】
Kazuo Ishiguro, The Unconsoled, Faber and Faber, 1995=カズオ・イシグロ『充たされざる者』、早川書店、2007

【あらすじ】
著名なピアニストのライダーは、「木曜の夕べ」という催しで演奏するべく招かれていた。彼は催しの詳細を把握していないが、演奏会は町の危機を乗り越える望みのようである。ホテルのポーター、支配人、そのピアニストを志す息子等々、見ず知らずの他人が次々とライダーに頼みごとを持ちかける。

【コメント】
『日の名残り』でブッカー賞を受賞し、最新作、『わたしを離さないで』も映画化されて話題となったカズオ・イシグロの実験的小説です。 文庫本で950ページという長さですが、主人公のピアニスト、ライダーに頼みごとをする町の人たちと、ライダーとの関係が明かにされず、町の「危機」が何であったのかも謎に包まれたままです。冒頭から最後まで、不穏な空気なのに妙に緩んでいて居心地が悪いです。

今まで読んだ本の中でも一、二を争うような退屈さで、読むのが苦痛でした。たまたま日本語訳を買ったので読みましたが、英語で読もうとしていたら挫折していたと思います。全体としては悪夢のような話で、私にはところどころデルヴォーの絵画や、映画『去年マリエンバードで』を思わせる部分もあったのですが、それらにあるような甘美さが本書にはなく、ただ単に1000頁も延々と砂を噛んでいるような感覚でした。かなりフラストレーションがたまりました。『わたしを離さないで』はおもしろく読んだので、カズオ・イシグロはいろいろな作風を使い分ける作家なのだろうと思います。

2013年9月10日火曜日

『ブロンテ姉妹』(映画)


【基本情報】
Les Sœurs Brontë,『ブロンテ姉妹』、1979年、フランス
監督 アンドレ・テシネ
出演 マリー・フランス・ピジェ、イザベル・アジャーニ、イザベル・ユペール他

【あらすじ】
シャーロット、エミリー、アンのブロンテ姉妹と、シャーロットとエミリーの間の男の子、ブランウェルの伝記映画。

【コメント】
ブロンテ姉妹の文学はイギリス的だと思いますが、この映画はヨークシャーの荒野を舞台としつつも、言語はすべてフランス語です。フィクションを書かれた言語と違う言語や舞台設定で演じるのはうまく演出してあればおもしろいですが、こういった伝記映画を別の言語でするのはかなり違和感があります。

ブロンテ姉妹の作品はシャーロットの『教授』とアンの『ワイルドフェル館の住人』以外は読みました。また、エミリー・ブロンテの伝記と、姉妹とブランウェルを題材とした小説も読みました。映画では、ブランウェルが家庭教師先の生徒の母親と恋愛関係を持ったことが中心となっています。これだけの大女優を揃えて、上映時間も約2時間の大作なのに、肝心の姉妹の生涯についてはあっさりしすぎている印象です。ブロンテ姉妹のことは詳細はあまり分かっておらず、田舎に住む貧しい三人が突如、ベストセラー作家になったという以外は大きな恋愛沙汰などもなかったようですが、よく研究され、伝記も多く出版されているので、創作に関することでもう少し映画の題材にできることがあったのではないかと思います。雰囲気はよく、荒野を背景とする美人姉妹は絵になります。天気は常に曇りか雨で、灰色のヒースの野が延々と広がる荒涼とした風景は『嵐ヶ丘』や『ジェーン・エア』の世界です。ほとんど白黒のような背景に何度か登場する馬車が、荒野に孤立した姉妹と外界を結んでいるようです。

イザベル・ユペールのアン・ブロンテ

2011年『ジェーン・エア』のミア・ワシコウスカ

イザベル・アジャーニは美人ですが、エミリー・ブロンテのイメージには合いません。ラファエル前派的な容貌で、抑えた演技のイザベル・ユペールが、三人の中では一番ブロンテ姉妹のイメージに近いと思いました。2011年の映画、『ジェーン・エア』のヒロインにも少し似た佇まいです。

画家のクリムトは「私自身は興味深い人間ではない。私について知りたいと思うなら、私生活について研究するのではなく、絵を見てほしい」という言葉を残しています。作家についても同様のことが言えるのかもしれません。画像拝借元

2013年9月2日月曜日

The Black Prince(本)

サラ・ベルナール
【書誌情報】
Iris Murdoch, The Black Prince, Chatto & Windus,1973

【あらすじ】
税務署に勤める傍ら、数冊の小説を発表したブラッドリー・ピアソンのもとに、作家友達のアーノルド・バフィンから「口論の果てに妻のレイチェルを撲殺してしまったようだ」という電話がかかってくる。ブラッドリーは離婚した元妻の弟で、無免許医のフランシスを連れてアーノルドを訪うが、レイチェルは脳震盪を起こしただけで無事だった。ブラッドリーの元妻クリスチャンは再婚して渡米したが、最近夫が死亡してロンドンに戻り、ブラッドリーに会いたがっていた。一方、ブラッドリーはバフィン夫妻の娘で、何をやっても長続きしないジュリアンより「作家になりたいから個人教授して欲しい」という依頼を受ける。家族や友達と離れて静かに執筆したいと願うブラッドリーだったが、妹のプリシラが「夫が私を殺そうとしている」と言ってやってきて、睡眠薬を一瓶飲むなどの騒ぎを起こすため、なかなか出かけることができない。

【コメント】
うかつにこんなことを言うと叱られそうですが、本書を読んでナボコフの『ロリータ』を思いました。58歳の主人公、ブラッドリー・ピアソンは友人の娘で20歳のジュリアンに夢中になり、自分の思いを、他人には理解できない「究極の愛」だと思い込みます。『ロリータ』のハンバート・ハンバートはインテリで、作品中にも難しいメタファーや引用が散りばめられていました。The Black Princeのブラッドリーは、インテリとして自己認識していますが、実際のところ高等教育を受けておらず、学歴コンプレックスでその上ミソジニストです。本書は90パーセント以上がブラッドリーの一人称で語られ、最後に他の登場人物と、謎の編者による後書きが添えられます。ブラッドリーは自分に関わるすべての人を見下していて、自分は超然とした芸術家であると考えていますが、内実は伴っていません。歪んだ自意識の下、展開する物語には最初から不穏な雰囲気があります。

本書は、部分的にシェイクスピアの『ハムレット』に取材しているそうで、文章中にも何度も言及があります。ハムレットは、父を亡くしたばかりなので黒い喪服姿で演じられることが多く、The Black Princeというタイトルも「喪服を着たハムレット」を指していると考えられます。玄関の呼び鈴が鳴って家族や友人が訪ねてくるとか、電話がかかってくることが全体で20回以上はあり、演劇における俳優の登場を思い出させます。人が訪ねてきたり、電話がかかってくる度に、状況が少しずつ悪い方向に転じて行き、緊張が高まり今にもとんでもないことが起きそうだ、と思います。

ブラッドリーの言動、思考は本人によって一応合理的な説明は付されているのですが、かなりおかしな部分が多いです。読み手が彼に対して抱いた違和感について、後書きで説明がされます。全体として、「鏡」の存在を感じさせる構成になっていて、それにはたとえば以下のようなことが挙げられます。
  • ブラッドリーには精神状態の不安定な妹がいて、元妻のクリスチャンには精神科医の弟がいる
  • 夫に虐げられる、ブラッドリーの母とクリスチャンの母
  • ゲイの義弟フランシスと、少年のような魅力のジュリアンを愛するブラッドリー
  • ブラッドリーと彼の義弟(妹の夫)は、自分と同じ年頃の妻との関係がうまくいかず、若い女の子に溺れる
  • ブラッドリーは中年女性に追いかけられ、自分は若いジュリアンを追いかける
  • 「妻を殺してしまった」という電話に始まり、「夫を殺してしまった」という電話に終わる
ブラッドリーは歪んだ鏡を通して世界を見ているようでもあります。彼が鏡を通して見る世界は、単に左右反転しているだけでなく、自分の脚が長く見えたり、他人の顔が引き伸ばされて滑稽に見えるようなものだったのでしょう。最後にその鏡は破壊され、ブラッドリーから見ればまったく辻褄の合わない、理不尽なことが起こります。しかし、「真相は薮の中」という結末で、彼の見ていた世界と他の人の見る世界にどれくらい乖離があったのか、謎が残るままです。

歪めることができる鏡は科学博物館などで見ることがありますが、1分も遊べば気が済むものであって、何百ページも歪んだ世界に浸っていたら少しくらくらしてきます。にもかかわらず、ちょっと気持ちが悪くなるような主人公の語りを、延々と読ませる文章の魅力があって、本を置くことができません。4人の登場人物による後書きもまた、それぞれ別の方向に少しずつ歪んだものを見る印象で、煙に包まれたような不思議な読後感です。

日本語訳は『ブラック・プリンス』のタイトルで出版されていましたが、現在は絶版のようです。