The Book and the Brotherhood(本)



【書誌情報】
Iris Murdoch, The Book and the Brotherhood, Chatto & Windus, 1987

【あらすじ】
かつてのオクスフォード大学の同級生である、50がらみの5人ほどの仲間たちは、家族や知り合いを交えて、仲間内の左翼著述家、デイヴィッド・クリモンドがマルクス主義や哲学に関する長大な本を執筆するのを経済的に支えている。このグループのリーダー的存在である元大蔵官僚のジェラードと、彼の親友、ローズを中心として、教師であるジェンキン、官僚のダンカンとその夫人のジーンらは、定期的に集まってパーティや議論を行っていた。しかし、夏至のダンスパーティにて、ジーンがクリモンドに誘惑され、夫のダンカンを捨てて、クリモンドと同棲を始めたことをきっかけとし、すべての登場人物の人生に劇的な変化が訪れる。クリモンドは非常に知的で、多くの女性を魅了する存在であり、ジーンは過去にも彼と出奔したことがあった。
1987年のブッカー賞候補作である。

【コメント】
本書はアイリス・マードックの小説の中で最長で、登場人物も並外れて多いです。人物相関図がないと混乱してくるので、解説として付属していると親切かと思いますが、なかったので仕方なく自分で作りました。オクスフォード卒のインテリで、社会的にも高い地位の仕事に就いて不自由ない生活をし、学生時代からの仲間と親密な交際をして、という羨ましいエリートたちの、複雑に絡み合う人間模様を描きます。

「魅惑者」に抗いがたく惹きつけられる女性、シングルマザーとその娘の確執、ゲイの男性に30年も片思いする女性、友情と愛情、シンボルや魔術、金銭問題など、扱っているテーマも多岐に渡り、その合間にはマルクス主義や哲学、宗教などの抽象的な議論が延々と繰り広げられます。一つ一つのテーマも深く掘り下げられ、本書自体が、クリモンドが書こうとしているような大作であることは間違いないのですが、登場人物も扱う問題も多すぎて、拡散している感があり、途中、同じことを繰り返したり、睡眠中の夢の話が多かったり、やや迷走気味な印象です。

多くのキャラクターが、くっきりとした性格的な特徴を持っているのに、肝心の「魅惑者」クリモンドと、彼と心中を願うほど強く惹かれるジーンは、容姿の美しさ、聡明さと「魅力」が強調されるものの、文章からは、ほとんどその魅力の実態が分かりません。中心に強い光を当てすぎて、陰影が消え、その部分が白く飛んでいる写真のようです。ジーンは、自分が平穏な生活を捨て、クリモンドのもとへ走ったことを
But you must take it that we inhabit two absolutely different worlds. You rely on continuity, you live by a certain quiet seamless order in your life ,it suits you, you've lived and thrived on it, whereas it has gradually suffocated me.
と説明します。ジーンもオクスフォード卒の秀才で、美人で裕福であり、あらゆる輝かしい功績の可能性がありましたが、外交官夫人として夫の成功を支えるという、脇役的な人生を選択します。クリモンドと同棲を始めると、彼に、自分の才能を活かせる仕事を探すように、と勧められます。しかし、そうはせずに、他人の収入と目標を当てにして生きることになります。クリモンドと同棲するジーンは、家政婦のような存在であって、ひたすら彼に尽くし、彼の行き先すら聞かされることはありません。命がけの不倫の結果は、案外空虚です。

不倫の結果は空虚でも、周囲に甚大な影響を及ぼします。拡散していて、あまり集中できない、と思いつつ、私もしっかり物語に取り込まれ、意表を突く破壊力のあるクライマックスに衝撃を受けました。「もう本なんか読みたくない」と言って、毛布をかぶって部屋の隅で壁に向かっていたいような気分になりました。
Vast tracts of his soul no longer existed, his soul was devastated and laid waste, he was functioning with half a soul ... What remained was darkened, shrivelled, shrunk to the size of a thumb. 
それだけのクライマックスを用意しているのに、いろいろ詰め込みすぎでラストは消化不良の感が否めません。The Flight from the EnchanterA Fairly Honourable Defeatでもそうでしたが、あらゆる点で恵まれているキャラクターが、温厚でまじめな人々を散々掻き回した挙句に、自分だけはほとんど無傷のまま抜け出す、というのは何とも不条理です。とはいえ、クリモンドの本は完成します。A.S.バイアットによるマードック論Degrees of Freedomを参照すると、不穏さを含む結末について、以下のように記されています。
The novel is full of real fear that we are at the end of some phase of civilization and can glimpse an incomprehensible world to come.
このbrotherhoodの構成員は、全員が急進的で、左翼の無神論者なので、無垢と純真の化身のように扱われていた、若いタマーがある事件をきっかけとして、宗教に救いを求めるようになると、メンバーが大変なショックを受けて「でも、まさか本当に神の存在を信じているわけではないよね?!」と慌てるシーンがおかしいです。タマーの成長と変化は本書の見どころの一つです。

マードックの作品の中でも大傑作だとは思いませんが、これだけ内容の濃い小説を、40年間で26冊も書いたというのは本当に目覚ましいことだと思いました。また、他の小説にも見られる、実態の不明な「魅惑者」のモデルは、マードックの愛人だったエリアス・カネッティがモデルだというので、カネッティの著作はいずれ読んでみたいです。

コメント