A Fairly Honourable Defeat(本)


 How can one live properly when the beginnings of one's actions seem so inevitable and justified while the ends are so completely unpredictable and unexpected?(Iris Murdoch, A Fairly Honourable Defeat)
【書誌情報】
Iris Murdoch, A Fairly Honourable Defeat, Chatto & Windus, 1970

【あらすじ】
ロンドンに暮らす官僚のルパート・フォスターは、郊外にプール付きの家を構え、妻のヒルダとは結婚20周年を迎える現在でも仲がよく、善についての哲学書を執筆中である。自分の同僚であるアクセルと同性愛関係にある弟のサイモンや、オクスフォード大学を休学中の問題児の息子、ピーターのことなど懸念がないわけではないものの、概ねイギリス中産階級の理想的な生活をするルパートであるが、アメリカから帰国した義妹のモーガンが家に滞在することになり、平穏な生活が陰りを見せ始める。モーガンは貧乏で冴えない夫、タリスを捨てるも同然に渡米し、現地で悪魔的な魅力のジュリアスと不倫関係に陥った。モーガンとジュリアスの仲は既に破局していたが、時を同じくしてジュリアスもロンドンに渡り、モーガンを挑発して二人はとある賭をすることになる。

【コメント】
本書はワクワクする内容で、興奮しすぎて眠れなくなり、眠いのに読んでいたら頭が痛くなりました。突然やってきて、特に自分と利害関係があるわけでもない、平穏な人間関係を徹底的に破壊し尽すジュリアスの悪党ぶりは、気分が悪くなりそうなのに、目が話せません。

ジュリアスは聡明な美男子で、魅力に溢れ、旧友のアクセルにその「倫理的な魅力」を賞賛されるほどです。しかし、実態は自分の力を誇示し、観察して楽しむためだけに、他人を陥れてまったく罪悪感を持たない性格です。ジュリアスは、元恋人のモーガンに、「自分はどんなに強固に見える人間関係をも簡単に破壊して見せる」と宣言し、モーガンの身内をその標的にします。感情がほとんどなく、刺激を求めることなどから彼はいわゆる「サイコパス」ではないかと思います。「悪い」ということが彼の最大の特徴で、他にはほとんど際立った性格を持っていないような、不思議なキャラクターでもあります。英語版Wikipediaには北欧神話の「ロキのような」と書かれています。私にはシェイクスピアの『オセロー』に登場する悪党、イアーゴーを思わせました。20世紀のイアーゴーは、エリザベス朝のイアーゴーよりもはるかに手の込んだ策を弄し、人々に大きなダメージを与えます。

マードックの小説には時折ゲイのカップルが登場します。本書に登場するのは40代の官僚と30歳くらいのフェミニンな男性のカップルです。年上のアクセルを子犬のように慕うサイモンと、威厳を見せながらも、実はツンデレ(?!)なアクセルの二人は、互いに純真な愛情を抱いていて、甘酸っぱいです。アクセルの誕生日のために一生懸命料理したのに、ジュリアスにめちゃくちゃにされて焦げた料理の前で泣くシーンが切ないです。

他にも一癖あるキャラクターばかりで、彼らの繰り広げる人間模様と会話が刺激的です。会話文が多いので読みやすいです。ジュリアスの仕業はひどいものですが、登場人物たちの欺瞞が暴かれていく様は痛快でもあります。

非常にまじめな作品ではありますが、ところどころ部屋の隅で壁に向かってニヤリとしたくなるようなギリギリのユーモアが散りばめられています。たとえば
  • 呼び出された挙句に呼び出した本人は不在で、偶然により服をとられて裸のまま待ちぼうけをくらう
  • 別居中の妻に「私の荷物を持ってきてよ」と言われ、手押し車に荷物を積んで持って行ったら、なんで車で来ないの、と言われ、「持っていないから。下り坂だから問題ないよ」と言うところ
  • 誕生日プレゼントに嫌がらせとして大きなピンク色のくまちゃんを贈られ、どこかに置き去りにしようとするものの、あやしまれるばかりでなかなか捨てることができない
などです。また、マードックの作品は小道具の使い方が印象的です。とりわけ、石や宝石はよく登場し、本書では孔雀石のペーパーウェイトと琥珀のネックレスがちょっとした役割を担っています。他の作品で扱われていたのは、水牛の角、琥珀、ラピスラズリなどで、並べてみるとマードックの好みが少し分かるような気もします。

悪がのさばって、人々が罠にはまり、収拾がつかなくなってきたところへ、颯爽とあらわれた意外な登場人物が、もつれた糸を鮮やかに解きほぐします。タイトルのA Fairly Honourable Defeatの意味するところは、悪であるジュリアスが賭に負けたこと、汚い家で埃にまみれて惨めな生活をし、他の登場人物より経歴も劣るような「彼」にジュリアスがまんまとやられたことを指すのかと思いましたが、Wikipediaにはそれとは正反対の解釈が示されているので、私の読み方がおかしいのかもしれません。日本語訳が出版されていないのが残念ですが、これまで読んだマードック作品の中では、The Green Knightと並んで娯楽性が強いと思います。(なお、人物相関図はふざけた感じですが、本の内容はまったくこんなふうではないです)

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