2014年9月30日火曜日

ごきげんよう


本日をもってボストン近郊で住んでいた家は退居し、明日からはしばらくホテルに生活します。10月に帰国し、11月には日本での住所が決まる予定です。2011年秋より、ニューイングランド生活を満喫し、アメリカ各地やヨーロッパへも旅行し、とても楽しい滞在でした。ひとえに夫のおかげです。もう少し長く滞在したかった気持ちもある一方、一ヶ所に5年、10年住むのは気が進まないので、3年間暮らして、新たな土地で再出発できるのは、良かったと思っています。帰国したら、再就職し、いつの日か、また海外に暮らすことを夢見て、せっせと働こうと思います。9月後半からは転職サイトに登録し、就職活動を進めているところです。渡米前は、企業の法務室で、かなり仕事を気に入って、充実した勤労生活を送っていたので、再就職も楽しみです。

3年間のご愛読ありがとうございました。カウンターが徐々に増えるのが、日々の更新の励みのみならず、洋書多読や、ドイツ語の勉強を進める原動力になりました。更新頻度は落ちますが、当ブログは、せっかく訪問してくださる方々もあるので、タイトルを変えて継続します。家にインターネット環境が整うまで、しばしご無沙汰を致しますが、今後ともよろしくお願いいたします。

それでは、ごきげんよう。

2014年9月25日木曜日

テーブル塗り替え


ボロくなってしまった

引越しに伴い、大型家具は販売しようとしましたが、ダイニングセットは売ることができませんでした。持ち帰る荷物の容量に収まるので、輸送することにしました。抽出しの建て付け問題などはなく、材質は良く、デザインも気に入っているので、会社が輸送費を負担してくれる限り、持ち帰ってもまあ良いかと思いました。材質はアッシュ(セイヨウトネリコ、日本だとタモが近いそうです)です。食卓として通常の使用をしただけですが、表面の塗装が半分くらい剥がれてしまったので、自分で塗り替えました。業者に依頼できる時間的余裕はありませんでした。引越し前の忙しい時期ではありますが、このまま日本に持ち帰ると、到着は年末になり、その時にはすっかり意欲を失い、ボロのまま使うことになるのが目に見えているので、えいやとやってしまいました。

剥がした
塗料はがしを使ってもとの塗料をはがします。塗料はがしは、毒性の強い溶剤で、容器には「ゴーグルをする」「一度にたくさん出しすぎない」などの注意事項が記載されています。ゴム手袋をして、プラスチックのヘラで剥がすのですが、それでも手が痺れてきます。塗料は、塗るよりも剥がす方がはるかに大変です。まず均一には剥がれない上、腰を曲げて力を入れながらヘラを使うので、腰が痛くなります。横から見て確認しながら、なるべく剥がし残しがないようにやろうとしましたが、途中で溶剤がなくなり、やはりムラになってしまいました。その後ヤスリがけをします。これがまた重労働です。

色が全然違う
広げて浸透させるとこのように

ステインは似たような色が何種類かあり、判断がしにくいので、色見本を拡大して、ipadで表示し、テーブルと並べながら色を決めました。届いたステイン液の色は、テーブルとまったく違うので、慌てました。再手配する時間もないので、そのまま塗ってしまいました。ステインはペンキのように付着させるものではなく、浸透させるもので、木目に染み込むと、もとの木の色との相乗効果で、ステイン自体の色とは違う色になります。何度か塗り重ねると、本来の塗料との違いが分からない色になりました。刷毛でステインを塗りながら、古布で広げる作業は塗料はがしよりは楽ですが、オイルステインを使ったためか、油彩画よりも強烈な臭いがありました。重ね塗りをする上、乾燥にも時間がかかるので、1週間くらい家の中がペンキ臭く、何を食べてもペンキを食べているような気分になって閉口しました。乾燥後、細かいサンドペーパーでヤスリがけをします。

仕上げにウレタン塗装をしました。ニスも、きれいに塗るには何回か重ね塗りするものらしいです。余った分を持ち帰るわけには行かないので、全部塗ってしまいました。ニスの塗り方については、こちらのページに丁寧に説明されていて、参考になります。部屋が散らかりすぎたため、完成写真はありません。テーブル塗装をやりながら、他の荷物を梱包しながら、就職活動のための書類作成などもやっていたので、慌しく過ごしました。なかなか大変な仕事ですし、塗料剥がしやステインのような毒性のあるものを使ったせいだと思いますが、パソコンも壊れてしまって難儀しました。プロに塗り替えを依頼すると、安めのテーブルが買えるくらいの費用がかかるというのは、納得できます。

ただ、このテーブルは高さが75センチもあるので、小柄な日本人が靴なしで使うには高すぎます。いずれは脚を短くして使うのもありかと思っています。仕上がりは、普段に使うには問題ないですが、やはり素人の仕事であることが明らかで、恥ずかしいので、お客様の時はテーブルクロスをかけます。

2014年9月22日月曜日

BSOのコンサート

本文と関係ないです

ボストン交響楽団は、こちらに住んでいる間で10回以上聴きにいきましたが、来日するとチケットが高価なので、当分聴き納めだと思います。コンサートはメイン重視で行くと、だいたい前曲と中曲はがっかりするもので、今回のモーツァルトと、ヴィラ・ロボスに関しても、私は特段思うところはありませんでした。ただ、メインのベートーヴェンの第5番は、大学オケに所属していたとき演奏したことがあるので、思い入れがあります。

有名なのは1楽章ですが、3楽章の、問いと答えを繰り返しながら、4楽章に向かって緊張を高める旋律が好きです。自分で演奏した時も、3楽章が楽しいと思いました。マルチェロ・レーニンガーは若い指揮者で、勢いのある演奏でした。やはり、これは勢いが重要な音楽だと思います。私は、BSOのフルートがとりわけすばらしいと思います。一つ一つの音が際立っていて、なめらかで、ある部分では楽器の中から小さな金色の小鳥が5羽くらい、飛び出してきてその辺を飛び回っているように感じました。

ボストンで聴いた中でも、特に思い出深いコンサートになりました。日本でもオケを聴く機会はたくさんあるでしょうから、積極的にライヴ演奏に出かけたいものです。

2014年9月15日月曜日

無垢材中古家具の販売

カイユボット「床削りの人々」1875年

渡米したとき、持ち帰るつもりでEthan Allenの、我々としては高価な家具を買いました。イーサン・アレンの家具は、無垢材で重厚ではあるものの、抽出しがスムーズに動かない、日本のものと比べるときちんと閉まらない、布巾で表面を水拭きしただけで塗料がはげるなど、造りはお粗末です。塗料などは自分でメンテナンスすれば良いのでしょうが、使い込んで愛着が湧く感じではありませんでした。また、一般的な日本の賃貸家屋に収めるにはサイズが大きすぎます。渡米する時よりも持ち帰れる荷物の容量が減ったこともあり、できるだけ販売することにしました。販売価格は10年間かかって減価償却した後の残存価値+αくらいになってしまいましたが、会社負担で運べる荷物の容量をオーバーした場合に、自費で運ぼうとすると輸送費が定価よりも高くなってしまうので、やはり手放すのが適当だろうということになりました。

ebayとcraig's list及びいくつかの日本語掲示板にも書き込んで、購入者を募りました。簡単に輸送できないので、自宅まで引き取りにこられる方限定としました。アメリカは、引越業者を使わずに、トラックを借りて自分で引越しをする人も多く、トラックは簡単に借りることができます。この際なので、とにかく売らないと、と思いました。最終的には、買ってくれた方々とは気持ちの良い取引ができましたが、中には面白半分で連絡してこられたこともありました。

特に苦労したのは机で、とても複雑な構造で脚を外すことができずに階段のところに詰まってしまい、予定していた日に引き渡すことができませんでした。イーサン・アレンに、分解方法を教えてくれるように連絡したのですが、「組立部門に打診し、方法が分かればすぐ連絡する」と言われたにも関わらず、その後は催促しても、2週間経っても、梨の礫で、夫が大汗をかいてやっとのことで分解できました。その日に引渡しができず、平謝りだったのですが、先方はオーケー、と言ってくれました。イーサン・アレンは1970年代頃までは、質の良い高級家具を販売することで有名だったらしいのですが、現在は質の悪い家具を、過去の栄光にすがって値段だけ高く販売し、顧客サービスも最悪、ということで、ネット上での悪いレビューも数多いです。これを先に読んでいれば良かったのですが…3年間使ってみて、一つだけ良い点をあげるとすれば、木材の質だと思います。

家具を販売するには、採寸、写真撮影、状態の記載、相手との電話とメールによるスケジュール調整などに加えて、上記の机のようなものは、写真付きで組立説明書を作ってお渡ししないといけないので、引越しの梱包作業と並行して進めるのは結構大変です。自分の家を買って、一ヶ所に定住するまでは、安物を買って数年単位で使い捨てるのが良いと思いました。



2014年9月13日土曜日

【シカゴ旅行】イリノイのお土産



イリノイの蛍石鉱山は、20年前にすべて閉山したというので、イリノイ産蛍石は現地に行けば買える!というものでもないでしょうが、せっかくシカゴに行ったので少し探してみたいと思いました。とはいえ、鉱物の取引はミネラルショーとオンラインがメインなのか、大都市でも鉱物専門店は多くはありません。yelpで調べた、都心からやや離れる鉱物ショップへ行ってみました。


鉱物標本は宝石を身につけるのとは違うので、1個が○円(本気のコレクターには鼻で笑われる額だと思います)以下のものしか買わないと決めています。行ったお店の品揃えは、比較的リーズナブルな価格帯でした。イリノイ産蛍石は15個くらい陳列されていたかと思います。とても大きいもの、黄色と水色のバイカラーのものもありましたが、掌サイズの青っぽいものを選びました。

紫がかっている部分もあり、角度と光の具合によってはグレイッシュに見えますが、鉱物は青で集める、と言った手前、やはりこれは青い蛍石だと言いたいです。薄く小さいものの、光によって色が変わって見えるのが魅力的です。飛行機の待ち時間に取り出してしげしげと眺めていました。


標本箱に収めました。これまで持っていなかったタイプの青です。地図を調べてくれたり、買い物に付き合ってくれた夫に感謝します。

薄明かりのシカゴ・オヘア空港


【シカゴ旅行】シカゴ美術館




シカゴには、月初に旅行し、例によってBank of Americaの顧客優待で、無料で入館しました。Wikipediaによれば、フランスの印象派コレクションが特に充実しているらしいです。目玉の一つはスーラの「グランド・ジャット島の日曜日」かと思います。また、カイユボットの雨の日の絵は、最近修復されたそうで、雨空の微妙な光の様子が、繊細に表現されていると思いました。この作品の空模様は、もうすぐ雨が上がるような雰囲気でもあり、好きな一枚です。

ガストン・ラ・トゥーシュ「ブルターニュの巡礼」

ジョゼフ・ライト「サレルノ湾」1785年

美術館に行くと、いつも薄明かりの絵を意識して探すようにしています。大きな美術館なら、10枚は必ず見つかります。私がいつも「薄明かり、薄明かり」と言うので、夫に「ここにも薄明かりの絵があるねぇ。punka写真撮って薄明かりポイント溜めや」と言われました。ポイント方式だったらしいです。


他の種類の美術作品は、構図が、色彩が、光が、主題が、なども少しは考えるのですが、食べ物を描いた静物画に限っては、その良さは「おいしそうかどうか」に尽きると思っています。おいしそうな静物画即ち魅力的な静物画です。写真は光ってしまいましたが、本作は、クッキー、果物、ナッツの表現が、今すぐ絵の中に入って貪り食べたくなるほどにおいしそうでした。


鳥を吊るしているのはまだ理解できるのですが、リンゴやキャベツを吊るしているのが不思議です。保存のためでしょうか。であれば、1個だけ吊るすというのはやはり妙で、切り口が見えているメロンとも相まってなかなか意味深な感じで、象徴主義的な意味でもあるのかしら、と思いました。(時代が全然違うので、象徴主義は関係ないです)



恒例のヴンダーカンマーと、恒例のコーネルの箱と、恒例の写り込み。すみません。


シカゴ美術館は、噴水のある庭もきれいです。木が生い茂ってアーチになっています。ミュージアムショップでカイユボットの小さめのポスターを買い、満足して帰りました。


2014年9月10日水曜日

【シカゴ旅行】フランク・ロイド・ライト


ルッカリー

シカゴといえばフランク・ロイド・ライト、シカゴに行ったらまずはライトの建築を見たいと思いました。シカゴで見られるライトの主な建築物は、
  • ロビー邸
  • バッハ邸
  • ルッカリー
  • 自宅とスタジオ  
があります。ロビー邸がとりわけ有名ですが、公開日が限定されており、日程が合わなかったので、ルッカリーと、シカゴ郊外のオークパークに行きました。オークパークは、ライトの公共建築としてユニティ教会があり、複数の個人の邸宅と、ライト自邸とスタジオがあります。個人の邸宅は、現在もそのまま使用されているので中を見学することはできませんが、ユニティ教会とライト邸は一般公開されています。

ルッカリーは都市部にありますが、見学はあまりできず、それほどライトらしくはないです。


ユニティ教会はユニタリアン・ユニヴァーサリスト派の教会として現在も使用されています。外壁はコンクリート打ちっ放しで、私は打ちっ放しのコンクリートについてはネガティヴイメージしかなかったのですが、この建物を見てこんなきれいな感じにもなるのか、と驚きました。ツアーはガイドさんに案内してもらうのと、音声ガイド付きセルフツアーを選べるので、セルフツアーにしました。ライトは、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジェと並んで、20世紀建築の巨匠と言われますが、私はこの二人とライトの建築はかなり違うと思います。音声ガイドは「ライトは、ウィーン分離派(ウィーンのゼセッシオン館、別名金のキャベツ)やイギリスのアーツ&クラフツ運動の影響を受けている」と言っていて、なるほど、と腑に落ちるものがありました。ユニティ教会は、予算の関係でそこまでゴージャスな感じにはできなかったそうですが、簡素な中に最大限の美を追求している印象でした。


シカゴ美術館、ミニチュアFLWルーム

ユニティ教会〜ライト邸の間の、フォレスト通りには、ライトによる私邸があります。この界隈は裕福な人が多いのだろうと思いますが、お庭の手入れも行き届いていて、豪邸が立ち並んでいました。特段、ライトがデザインした、という表記があるわけではありませんが、特徴的なので、だいたい見ると分かります。あまり他人様の所有物を羨ましがったりはしないのですが、こういったお邸には心底憧れます。水平線を強調した、直線的なデザインは日本の街並みにもマッチしそうなので、将来家を建てるとき(実現するかは別として)は多少なりとライトの風味を取り入れたい、などと分不相応なことを考えてしまいました。



ライトの家とスタジオも興味はありましたが、入場料が結構高いので、外から見て、ギフトショップでライトグッズだけ買いました。フランク・ロイド・ライトは夫もたいそう気に入って、日頃自分用の娯楽的なものをほとんど買わないのに、あれもこれもと買い込んでいて、とてもうれしく思いました。


箱に入っているゲームは、神経衰弱です。絵合わせです。きれいなデザイン画がタイルのようです。夫とはまって、3回戦も遊んでしまいました。二人で神経衰弱をするのもどうかと思うので、お客様がいらしたら、勝負を挑んでカードを見せびらかそうと思いました。

2014年9月9日火曜日

【シカゴ旅行】摩天楼

アドラープラネタリウムよりシカゴを望む
シカゴは、夫が出張で行くのに便乗させてもらおうと思っていたのですが、キャンセルになってしまいました。いつも親切な夫が、「じゃあ旅行で行こか」と言って連れて行ってくれました。
シカゴ川

シカゴは、摩天楼がかっこいい街です。ウィーンや京都のような、古い趣きのある街並みとは違いますが、碁盤目状の通りに沿って整然と並ぶ、高層ビル群を見ていると胸が空くようで、どこに立っても写真を撮りたくなります。大都市で、建物が多いのに、ごちゃごちゃしていないのです。フランク・ロイド・ライト縁の都市なので、あちこちにライト風な、直線的な装飾が見られます。シカゴを見ていると、端正であるということが美しさを感じさせる基本なのだろうと思います。ボストンやニューヨークよりも街としては整っているように思います。交通網がよく発達していて、鉄道とバスが旅行者にも利用しやすいです。



滞在中はほとんどお天気にも恵まれ、ミシガン湖と空がきれいな色でした。ミレニアムパークにある金属製のオブジェはシカゴ名物で、多くの人で賑わっていました。



川下りの船が多かったです。船の上のお兄さんが、橋の上にいた人たちにノリノリで手を振っていました。'Have a great day!'と言っていました。夫が、「'Have a great day!'って単なる挨拶だけど、いい言葉だよねぇ」と言っていました。渡米したばかりの頃にシカゴへ旅行したので、帰国間近に再訪できたことがうれしかったです。

2014年9月5日金曜日

一番好きな少女小説



日本でよく読まれている少女小説は、『赤毛のアン』シリーズなのか、『若草物語』なのか、『あしながおじさん』なのか、はたまた、ジェーン・オースティンやブロンテ姉妹なのか(少女小説ではない?)分かりませんが、個人的に一番好きな少女小説はルース・エルウィン・ハリスの「クォントック丘陵四部作」です。他のものよりも頭二つ分くらい抜きん出ている気がします。四人姉妹が主人公なので、「近代の若草物語」などと言われることもあるようですが、本家の方は私はどうにも居心地の悪い部分があって、「クォントック」の方が好みです。

軍人の父親を幼い頃になくし、次いで母親を亡くしたとき、パーセル姉妹の長女フランセスは17歳、四女セーラは7歳でした。姉妹は絵の才能があり、特にフランセスは野心的で、周囲を説得してスレイド美術学校に進学します。しかし、第一次世界大戦が勃発し、次女ジュリアは看護婦としてフランスで勤務し、姉妹の後見人である牧師の息子たちは次々と戦地へ向かいます。三女のグウェンは園芸で姉妹の食卓を支え、セーラは大学進学を目指します。1巻は四女セーラ、2巻は長女フランセス、3巻は次女ジュリア、4巻は三女グウェンの視点から展開します。視点を変え、取り上げる期間を少しずつ長くすることによって、ドラマチックで複雑な、奥行きのある物語になっています。4巻では、第二次世界大戦目前というところまで来ていて、悲劇的ではないものの、さらに暗い時代を予感させるラストです。日本語版の翻訳者による後書きには、「著者は4巻+2巻を構想している」と書かれているのですが、4巻が出版されてから20年以上経っても(販売実績の問題もあるのでしょうが)その後はいっこうに続編が出ません。いつ出版されるかと、ずっと待ち遠しく思っていましたが、作者は、四姉妹とその家族の、第二次世界大戦によるこれ以上の犠牲を書くことをよしとしなかったのだろうか、とも思います。戦争により負傷したり、戦死する主要登場人物もいて、その経緯は1巻の時点で分かるのですが、続く3冊では、その詳細について語られて、巻を追うごとに戦争による悲しみが深まります。四姉妹のキャラクターが非常に魅力的な、品のあるメロドラマであり、読み始めると寝食を忘れるくらいはまり、全巻通読せずにいられません。私は3回くらいは読んだと思います。

大学時代から親しくしてもらっているお友達にも勧めたところ、気に入ってくれて、「夢中になりました。そういえば、子供の頃にはいつもこれくらい本の世界に入り込んでいたと思いました」というお手紙を頂きました。

これまでは日本語訳を読んでいました。脇明子先生の翻訳も、きれいな日本語で読みやすいですが、もともとYA文学なので英語もさほど難しくはないでしょうし、せっかくなら原文で読んでみようと思い、ペーパーバックを揃えました。Kindle版は出ていないので、英米でもそこまで人気はなく、隠れた名作なのかもしれません。

英語で、チキンスープとかマカロニチーズ(日本なら鍋やそうめんなどでしょうか)のような、簡単に作れて、安心できて、ノスタルジーをかきたてるような食べ物をcomfort foodといい、それにならって同様の効果をもたらす本をcomfort bookという場合があるようです。私にとってこのシリーズはcomfort bookだと思いました。私のイギリス(文学)かぶれも、ここからスタートしている気がします。

なお、タイトルは以下のとおりです。
  1.  The Silent Shore or Sarah's Story 『丘の家のセーラ』
  2. The Beckoning Hills or Frances' Story 『フランセスの青春』
  3. The Dividing Sea or Julia's Story 『海を渡るジュリア』
  4. Beyond the Orchid House or Gwen's Story 『グウェンの旅立ち』

2014年9月4日木曜日

お別れ会


 秋に帰国するので、ロシアのお友達をお招きしてお別れ会をしました。一般的にお別れ会というのは、去る側が開いてもらうものかもしれませんが、お世話になった方への感謝を表すために、自分で開くのもありだと思います。とはいえ、この地域では、ある程度ちゃんとしたところで外食しようとするとかなりの出費になるので、恐縮しながら手料理でもてなしました。

メニューは
  • パプリカのポタージュ
  • フライドチキン
  • トマトとチーズのサラダ
  • フルーツサラダ
  • ローストマッシュルーム
  • レバーパテ(Whole Foods で購入)
  • パン、クラッカー、スコーン
でした。お友達はインテリゲンツィアで、「ロシアの高等教育について」や「多民族性について」など、知的な話題が多かったです。ロシアでは、海外旅行をするにもビザが必要で、パスポート発行のために領事館で面接をし、3ヶ月くらい待たないといけないそうです。

胆礬とインディコライト

標本箱に収めた

青い鉱物を集めているみたいだから、とお土産を頂きました。facebookに青い鉱物の写真を載せていたからなのですが、それを見て選んで下さったようです。その気持ちがうれしかったです。私は、クリスマスに飾ってください、と言ってビーズの多面体を差し上げました。
 
お互い地球の裏側に暮らすことになりますし、ロシアに旅行するのはEUやアメリカに旅行するよりも難しいので、次に会えるのが何年後になるか分かりませんが、また会えるといいなと思いました。外国で、その国のネイティヴでも日本人でもない人々と仲良くしていただいたのは本当に感慨深いです。「インターナショナルな友情を継続させましょう」と言っていただきました。お寿司が好きだというので、ぜひいつか日本にも遊びにきてほしいなと思いました。