【書誌情報】
Margaret Atwood, MaddAddam, Bloomsbury Publishing, 2013
【あらすじ】 Oryx and Crake, The Year of the Floodに続く、カナダの作家、マーガレット・アトウッドのMaddAddam三部作の完結編である。
クレイクが発明したブリスプラス薬の普及により、人類はほとんど壊滅状態となった。生き残ったのはクレイクの開発した新人類、「クレイカー」たちの他、クレイクの幼馴染であるジミー、アダム・ワンが率いる新興宗教団体「神の庭師たち」のメンバーであり、前作のヒロインであったトビー、レン、同じくメンバーのゼブ、クレイカーの開発に携わった人々などである。前作は、トビーとレンが凶悪な二人組から仲間のアマンダを救出し、ジミー、クレイカーたちと出会ったシーンで終わっていた(ここまでの説明は、本書の冒頭にあり)が、本作は、生捕りにしていた二人組をクレイカーが保釈してしまったところから始まる。
救出したジミーとアマンダは衰弱し、トビーは看護の腕前を発揮して二人を治療する傍ら、ジミーに代わってクレイカーに物語を語って聞かせ、文字を教える。共に生活する「神の庭師」たちと、クレイカー開発者たちは、自給自足と、打ち捨てられた店から物資を取ってくることにより、概ね平和な生活をする。ゼブは、トビーに自分と兄、アダム・ワンの過去を明かす。しかし、二人組のペインボーラーはまだ近くを徘徊しており、彼らの生活に脅威を与えていた。
【コメント ややネタバレあり】 Oryx and Crakeと、The Year of the Floodという、同じ時期(21世紀のいつごろか)に、別の地点で起こっていた物語は、第二作の後半から徐々に絡まり初め、本作で一つに融合しています。MaddAddamitesと呼ばれる、オンラインゲームMaddAddamのプレイヤーで、クレイカーの開発に携わった人々が、名前とキャラクターを伴って登場し、ジミーやトビー、レンなど前二作の主役たちと共同生活をしますが、彼らは脇役に過ぎません。本作で主役に据えられているのは、「神の庭師たち」のリーダーであったアダムと、その弟のゼブです。
Oryx and Crakeでは、ジミーがクレイカーたちに、クレイカーを創造したクレイクと、動物たちの守護神であるオリクスについて語って聞かせますが、本作でのジミーはこれまでの体験と怪我によりすっかり衰弱しており、もはや語る気力を失い、役割をトビーに譲ります。トビーはジミーから聴いた話と、自分の経験と、創作をうまく織り交ぜて、優れたストーリーテラーとなります。 トビーの物語と、無垢なクレイカーたちのやりとりはユーモラスで、ところどころ大笑いしました。トビーから文字を教わるクレイカーの子供、「黒髭」のキャラクターは、これまで自分が読んだ本に登場する子供の中でも随一のかわいらしさでした。
三部作は聖書のモチーフが随所に散りばめられています。クレイクは新人類を創造した上で、ノアの箱舟の大洪水を思わせる「水なし大洪水」(死に至る病の大流行)を発生させるなど、神のごとき力を持った存在であり、その所業を語るジミーやトビーは「預言者」なのでしょう。楽園と、アダムとイヴの挿話はThe Year of the Floodの屋上菜園と、そのメンバーの「アダム、イヴ」という呼び名に見られます。MaddAddamは、聖書のアダムが動物たちを命名したことをもじって、絶滅した動物の名前を挙げていくようなゲームでした。本シリーズにおける「知恵の実」は遺伝子操作などの行き過ぎた科学技術であり、サタンという、外部に存在する悪魔ではなく、人間の欲望が肥大し、禁断の領域に手を出したことが、世界の崩壊の引き金となります。ジミーにとって、オリクスのイメージがフクロウであり、"owl woman"と呼んでいるのは、オリクスがイヴではなく、リリスであることを示唆しているのだろうと思います。Scales and Tailsは、コールガールが、蛇のような鱗つきの全身タイツを着て、空中ブランコなどをする、というわけの分からないクラブでしたが、ここに見られる蛇もまた、ギリシア神話に登場する、下半身が蛇の女性、ラミアと同一視されることもあるリリスの暗示ではないかと思います。アトウッドの作品にはフェミニズム思想が反映されているので、フェミニズム運動の象徴でもある、リリス的な存在は重要なのでしょう。クレイクは他の人がどう見たかが語られるのみであって、すべてを引き起こした最重要人物であるはずなのに、彼自身の「声」を持ちません。私は、最後にはクレイクの手記のようなものが発見されて、彼の思想が知らされることを期待していたのですが、「神」は「預言者」を通じて語られ、自分の声を持つことはありませんでした。
Oryx and Crakeのテーマが科学、The Year of the Floodのテーマが宗教であるとするなら、本作のテーマは歴史や物語だろうか、と思います。クレイクは、Oryx and Crakeにおいて、人間が表象的思考を発達させ過ぎたことが今日の失墜の原因だ、と言います。
Symbolic thinking of any kind would signal downfall, in Crake's view.
Next they'd be inventing idols, and funerals, and grave goods, and the
afterlife, and sin, and Linear B, and kings, and then slavery and war. (Oryx and Crake)
But you must take it that we inhabit two absolutely different worlds.
You rely on continuity, you live by a certain quiet seamless order in
your life ,it suits you, you've lived and thrived on it, whereas it has
gradually suffocated me.
Vast tracts of his soul no longer existed, his soul was devastated and laid waste, he was functioning with half a soul ... What remained was darkened, shrivelled, shrunk to the size of a thumb.
それだけのクライマックスを用意しているのに、いろいろ詰め込みすぎで、ラストは消化不良の感が否めません。The Flight from the EnchanterやA Fairly Honourable Defeatでもそうでしたが、あらゆる点で恵まれているキャラクターが、温厚でまじめな人々を散々掻き回した挙句に、自分だけはほとんど無傷のまま抜け出す、というのは何とも不条理です。とはいえ、クリモンドの本は完成します。A.S.バイアットによるマードック論Degrees of Freedomを参照すると、不穏さを含む結末について、以下のように記されています。
The novel is full of real fear that we are at the end of some phase of civilization and can glimpse an incomprehensible world to come.