The Glass Room(本)



【書誌情報】
Simon Mawer, The Glass Room, The Other Press, 2009

【あらすじ】
2009年のブッカー賞候補作。
チェコスロヴァキアに住むユダヤ人実業家、ヴィクトル・ランダウアとその妻リーゼルは新婚旅行先で出会った建築家、フォン・アプトの近代的な建築理念に共感し、自宅の設計を依頼する。1929年に完成した家は、オニキスの壁と大きなガラス窓に囲まれたモダンで芸術的な邸宅だった。Glass Roomガラスの家(直訳すると「ガラスの部屋」ですが、作中で家全体をこう呼んでいるので「ガラスの家」とします)とよばれたランダウア邸ではコンサートなども開催され、子供にも恵まれた夫妻は平穏で理想的な生活を送るかのようだったが、ナチスの台頭により、子供たちの乳母とその娘共々スイスに脱出し、さらに南米へと渡る。一方、ドイツ軍に押収された「ガラスの家」はナチスの研究所として使われる。

作者Simon Mawerサイモン・モウアーは1948年生まれ。オクスフォード大学卒業後、長く生物の教師としてつとめた。本書の他に10冊の著作がある。

【コメント】
年の暮れに、今年のベストと思う本に出会えました。

未来への思いと、自らの理想の具現化であるガラスの家に住んだランダウア一家、ランダウア氏の愛人でユダヤ人であったことからガラスの家にかくまわれるカタリンとその娘、リーゼル・ランダウアの友人ハナ、ハナと関係を持つ、陰のある科学者のスタール等、ガラスの家に関連のあった人々の物語です。彼らは第二次世界大戦とその後のチェコの社会的混乱に翻弄されます。緻密な内容で緊張感があります。

主要登場人物は進歩的な思想を持っているのにブルジョアでもあり、また見方によっては時代の犠牲者でもありました。でも、単なる「犠牲者」として書いていないところが、奥行きを感じさせて好感を持ちます。また、建築はもちろん、ヤナーチェクやラヴェルの音楽、モンドリアンなどの抽象絵画、マイヨールの彫刻、モダンバレエなどいろいろな芸術に彩られています。

全体に戦争の陰鬱な雰囲気があり、家がナチスの研究所として使われる描写は不気味です。アーリア人、スラヴ人、ユダヤ人の身体的差異を定義する目的で、行われるのは身体測定と記録だけですが、ハナが言うように「鳥の標本のように、クロロホルムを嗅がされて剥製にされた」人々がいたかもしれない、と連想させます。

チェコ政府の所有となり、美術館として保存されることになったガラスの家について、本来の所有者が「怒っていないの?」と尋ねられ、「いいえ、ちっとも怒っていないわ。私は幸せよ」と言うシーンが印象的です。
なお、ガラスの家はチェコのブルノに実在する「トゥーゲントハット邸」(公式HP、写真多数あり)がモデルとなっています。ミース・ファン・デル・ローエによる建築物で、物語のとおりユダヤ系の実業家であったトゥーゲントハット氏とその家族が住んでいたそうです。 一家は迫害を恐れてスイス→南米へと渡り、チェコに戻ることはありませんでした。小説のモデルとなっているのは建物だけで、登場人物はフィクションであると作者は書いています。

小説の中で「ガラスの家」はモダニズムと登場人物の未来への思いの象徴です。ランダウア夫妻は装飾の多い19世紀的な建物や、それに象徴されるような古い体制や因習を好みませんでした。写真を見るとたしかに近代的な建築だとは思いますが、個人的な好みから言うとあまり魅力を感じません。こういった建物を見ると寒々とした思いがします。

日本語訳は出版されていないようです。下記リンクの『ローマ郊外四季物語』は同じ作者の別の作品です。

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