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【書誌情報】
寺田寅彦、『柿の種』、岩波書店
青空文庫版
【概要】
明治の物理学者、寺田寅彦の随筆集。
【コメント】
寺田寅彦は理化学研究所の研究者であり、同時に随筆家でもありました。本書と、Wikipediaなどの記事からうかがい知れる寺田寅彦はだいたい以下のような人物です。
- 物理学科出身
- 芸術にも造詣が深い科学者
- 絵も描く
- 意外とお茶目
- 音楽好きで、ヴァイオリン、チェロを演奏した
- 猫が好き
- 植物好き
- ふわふわ好き
「まんじゅうをふかして売っている露店がある。夫は丸いものやふわふわしたものが大好きで、買い物に行ってクッションや枕を見ると脊髄反射的に反応します。上の文章には親近感を覚えました。
蒸籠から出したばかりのまんじゅうからは、暖かそうな蒸気がゆるやかな渦を巻いて立ちのぼっている。私は、そのまんじゅうをつまんで、両の掌でぎゅっと握りしめてみたかった。そして子供らといっしょにそれを味わってみたいと思った。
まんじゅうの前に動いた私の心の惰性は、ついその隣の紙風船屋へ私を導いて、そこで私に大きな風船玉を二つ買わせた。」
エッセイには少しずつ温度差があり、温かく、ユーモラスなものと、やや冷たく、シニカルで衒学的なものがあります。後者は少ししょっぱいように感じられ、私は彼のユーモラスな、もしくはやさしさが表れている文章の方が好みです。
また、師であった夏目漱石と街で見た婦人について、こんな描写をしています。
「…先生と二人で出かけた時に、われわれのすぐ前の席に、二十三、四の婦人がいた。きわめて地味な服装で、頭髪も油気のない、なんの技巧もない束髪であった。色も少し浅黒いくらいで、おまけに眼鏡をかけていた。しかし後ろから斜めに見た横顔が実に美しいと思った。インテリジェントで、しかも優雅で温良な人柄が、全身から放散しているような気がした。「ロゼチの細君」はエリザベス・シダルのことです。今読んでいる漱石の『草枕』にも「ミレーのオフェリヤ」への言及が数ヶ所あります。座っているだけで文学者二人の注目を集めた、しかも地味だという件の女性がどんな容貌だったのか、気になるところです。
音楽会が果てて帰路に、先生にその婦人のことを話すと、先生も注意して見ていたとみえて、あれはいい、君あれをぜひ細君にもらえ、と言われた。もちろんどこのだれだかわかるはずもないのである。(中略)
それはとにかく、この問題の婦人の顔がどこかレニのマリアにも、レーノルズの天使や童女にも、ロゼチの細君や妹にも少しずつ似ていたような気がするのである。 」
グイード・レーニ「マグダラのマリア」 |
ジョシュア・レノルズ「天使の頭部」 |
ロセッティ「エリザベス・シダル」 |
寺田寅彦は1935年に亡くなっています。全体的に温厚な筆致で書かれているものの、終盤近くなると戦争への不穏な予感も見て取れます。
桃太郎です
返信削除漱石の文学世界を調べています。
関連して、寺田寅彦の「女の顔」を読みました。
ところが、寺田「短章二」(岩波全集新書版11巻108p)にあるレニの「マグダレナのマリア」は、幾種類かあることを知りました。このブログの画は最適です
きっと、寅彦が漱石から英国の帰国土産にもらった美術画二葉のうちの一枚と思います。あと一枚はレーノルズの「天使」です。これもブログの「天使の頭部」と思います。
以上は、寅彦日記の明治36年3月13日に記載です。こまかい話で恐縮ですが、要するに、僕の調査対象を確認できたというお礼のコメントです。ありがとうサン。
漱石の関連資料として、このブログ掲載の写真は役立ちます。ご自愛下さい。
コメントありがとうございました。
返信削除ブログの画像は、トラブル回避のためできるだけwikimediaから拝借しており、記事のグイード・レーニも同サイトからの引用です。
しかし、コメントを頂戴したので少し調べてみると、この「マグダラのマリア」はイタリアの美術館に所蔵されているもののようです。
ロンドンのナショナルギャラリーは、以下のリンク先の「マグダラのマリア」を所有しています。
http://www.nationalgallery.org.uk/paintings/guido-reni-saint-mary-magdalene
となると、漱石のお土産の絵葉書に印刷されていたのはこちらだったかもしれないと思います。
調査不足で失礼しました。
なお、レーノルズの天使については、他にそれらしい作品が(少なくともインターネット上では)見つからず、ロンドンのテイト美術館が所蔵しているので、記事の画像でほぼ間違いないかと思います。
ご自愛くださいませ。
桃太郎です。早速の連絡に感謝します。
返信削除さて、英国のナショナルギャラリーの「マグダラのマリア」をネットで見ました。
あれかこれか、少し検討してみます。
寅彦の先生である漱石に「文学論」があります。その末尾に、ラファエル前派のことが、文学論の関連として論評し、紹介されています。英国で1850年頃、大変な酷評をうけたことを、漱石は憤慨しています(岩波新書版18卷394p)。
その漱石が寅彦に、英国からの帰国土産にしたのが、僕の調査している画家たちです。漱石から寅彦の貰ったのは明治36年、そして寅彦の回顧した文章「女の顔」の執筆は昭和6年です。西暦では1903-1931年、約30年の経過です。
漱石の死没は大正5年1915ですから、寅彦の「女の顔」は、多年の懸案というべき漱石に対する女性観、と僕は思いますね。
漱石の小説など読みますと、多くの女性が登場しますが、寅彦の「女の顔」は、具体的な画像で再確認できる好資料と僕は考えます。
これからも、お気づきのことなど、ご教示ください。ではまた