Regina Cordium, by Rossetti |
【書誌情報】
Lucinda Hawksley, Lizzie Siddal: Face of The Pre-Raphaelites,Walker & Company, 2004
【あらすじ】
J.E.ミレーの「オフィーリア」のモデルとなった、ロセッティ夫人エリザベス・シダル(1829-1862)の生涯。エリザベス(リジーと呼ばれていました。リジーはエリザベスの呼び名)・シダルは帽子屋で働いているところをロセッティの同僚、デヴァレルに見出され、ラファエル前派のお気に入りのモデルとなる。画家、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと婚約したリジーは詩と絵画の才能を発揮し、ラスキンの後援を受ける。しかし、病弱なリジーはアヘンチンキに依存するようになる。
【コメント】
「ラファエル前派兄弟団」は19世紀半ばのイギリスの画壇のアカデミズム偏重に反発して結成された若い画家たちのグループでした。ラファエル前派の画家として、ロセッティ、ホルマン・ハント、J.E.ミレー、バーン・ジョーンズなどが知られています。また、ウィリアム・モリスはデザイナーですが、ラファエル前派と近しい関係にありました。
ラファエル前派の画家たちは、街へ出て自分たちの好みに合う少女をモデルとしてスカウトしました。そうしたモデルは労働者階級の出身であることが多かったのですが、相応の教育をほどこされて、画家の愛人や配偶者となりました。本書で扱っているエリザベス・シダルもその一人です。
Walter Deverell, Twelfth Night |
J.E.Millais, Ophelia |
ラファエル前派の画家の中で特にリジーに執心していたのはロセッティでした。イタリア系であったロセッティは自身を詩人のダンテと重ね、リジ-のことを自分にとってのベアトリーチェと考えました。リジーはロセッティの専属モデルとなり、二人は婚約しました。リジーに絵画の才能があると考えたロセッティは、自ら彼女を手ほどきしました。当時、画壇で影響力があったラスキンは金銭的にリジーを援助しました。帽子屋の売り子から、モデル→収入のある画家となったことは、極めて幸運なことでした。著者によれば、リジーは正式な絵画の教育も受けていないし、大変に才能があるとも言えず(彼女の作品を見ると私も同感です)ラファエル前派とのコネクションと自身の魅力によって幸運をつかんだようです。
ロセッティとリジーの婚約期間は8年間にも及びました。ロセッティは相応の収入がないことを結婚を先延ばしにする口実としていましたが、実際には他のモデルたちとも愛人関係があったことと、そもそも婚姻関係を結ぶこと自体に消極的であったことが原因のようです。リジーは結核に感染していた、と書かれている文献もありますが、本書ではそれは否定されています。
アヘンチンキは当時、乳幼児から大人まであらゆる世代の様々な症状の緩和に使用され、処方箋なしに簡単に入手することができ、安価でした。毒性については理解されていませんでした。帽子屋で重労働を強いられたリジーは、最初背中の痛みを和らげるためにアヘンチンキを服用していました。リジーは病弱でしたが、本書では心理的要因に由来するものだっただろうと指摘されています。「やりたくないことをやると具合が悪くなるが、いつだって本当にしたいと思うことはできた」と書かれています。婚約者であるロセッティを愛人から取り戻すため、頻繁にひどい体調不良を訴えたり、手紙に書いたりし、ハンガーストライキを起こしました。その度にロセッティは仕事を中断してリジ-の元にとんでいき、するとリジーは回復するのでした。当時、女性が一度誰かの愛人となってしまうと、別の人と結婚できる可能性はほとんどなく、ロセッティとの不安定な関係で抑鬱状態にあったリジーはアヘンチンキの鎮静作用に頼っていました。
ジェーン・モリス |
妻の死を嘆き、生前の自分の振る舞いを後悔したロセッティは最高傑作と言われる「ベアータ・ベアトリクス」を描きました。でも、同作品の最終バージョンでは、ベアトリーチェの容貌はやはりジェーン・モリスに似ていると言われています。また、ロセッティはリジーの柩に自作の詩の原稿を収めて埋葬しましたが、後にこれを取り出すために、お墓を掘り返しました。
エリザベス・シダルはかなり特徴のある容貌で、万人が認める美人というわけではありません。にもかかわらず、筆者は「最初のスーパー・モデル」と評しています。私も彼女の独特の雰囲気のある、病弱で繊細な容貌には魅力を感じます。上の画集はロセッティによるリジーのスケッチばかりを集めたもので、美しいです。白黒印刷のみですが、基本は単色のスケッチなので問題ないと思います。
著者のルシンダ・ホークスレーはディケンズの直系の子孫だそうです。本書は、どの登場人物にも、肩入れもせず、突き放すでもなく、うまく距離をとって書かれていて読みやすいです。ロセッティとリジーは共に芸術的才能があったけれど、気まぐれで我儘な性格などが似ていたようで、もう少しお互い相手に寛大になるとか、我慢すれば幸せに暮らせたのではないかと思います。また、アヘンチンキがいかに恐ろしい薬かということもよく分かります。ロセッティもまた、リジーの死後約四半世紀後に、アルコールと薬物中毒で亡くなっています。
なお、来年1月には六本木で「ラファエル前派展」が開催されるそうです。残念ながら私は行くことができませんが、「オフィーリア」も来るそうです。
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