2013年8月4日日曜日

The Green Knight(本)

J.S.Sargent, 'The Misses Vickers'

【書誌情報】
Iris Murdoch, The Green Knight, Chatto & Windus, 1993

【あらすじ】
妻のルイーズと三人の娘、アレフ、セフトン、モイを遺して若くして亡くなった公認会計士のアンダーソンにはケンブリッジ大学時代からの友人で僧職を志すベラミー、舞台俳優のクレメント、その兄で学者のルーカスらがいた。ルイーズの女子校時代の友人ででファッション業界人のジョーンは息子ハーヴェイを友人に托してパリに暮らし、ベラミーらは父をなくした三人姉妹とハーヴェイの叔父替わりとなる。さらにゲイのカップル、アメリカにいるルイーズの友人家族等を交え、才能のある若きアンダーソン姉妹を中心とした総勢15人程度の友人サークルが形成されていた。ルーカスはクレメントの両親の養子だが、実子故に母親に可愛がられたクレメントをいつも陰でいじめ、学者として人々の尊敬を集め、中年に至ってから弟を暗闇で殺害しようとする。偶然通りかかった男に殺人を阻止されそうになったルーカスは弟を殺す替わりにその男をバットで撲殺する。「財布を盗られそうになったので殴った」と陳述し、正当防衛を認められたルーカスだったが、ロンドンの自宅に戻ると死んだはずの男が訪ねてきて、「自分は精神科医のピーター・ミアだ。私は目には目を、歯に歯を、という信条にしたがい復讐する」と宣言する。ミアの要請は金銭的補償などではなく、自分は天外孤独なのでアンダーソン姉妹らのサークルに自分を紹介して欲しい、というものだった。

【コメント】
アーサー王伝説に「ガウェイン卿と緑の騎士」という話があります。本書は緑の騎士伝説や、聖書の「カインとアベル」などを下敷きに、1990年ころのイギリスの知的階級を書いた長編小説です。
アイリス・マードックは日本でも1970年代ころにはそれなりに読まれていたようで、翻訳も10冊以上出版されていましたが、現在ではそのほとんどが絶版です。

カインとアベル

マードックは「饒舌」と評されるようです。本書は、はじめの30頁で100人(?)ほどの人物が紹介され、相互に絡み合って複雑な人間模様を呈します。登場人物全員が知的で、大なり小なりエキセントリックであり、しかもそれぞれの性格描写が際立っていて、キャラクターに魅力があります。美しくて才能ある十代の姉妹が中心のサークル、という設定からして興味をひかれます。

モーガン・ル・フェイ
 登場人物の一人、ベラミーは神父と文通し、神の存在や自分の信仰のあり方について問いかけます。三人姉妹はアーサー王伝説に登場する魔女、モーガン・ル・フェイとその妹たちに取材しているそうです。方々から石を収集して時にはそれに心があると考え、動物に執着を示す末娘のモイの行動は魔女のようです。謎の精神科医で大金持ちのピーター・ミアはいつも緑のコートを着て、緑の傘を携えた「緑の騎士」です。冷淡で性格の悪いルーカスに、弟のクレメントはずっと虐待され、最近殺されかかったのに、兄を慕うことを止めません。サークルの中でも際立って頭が良く、超然としたルーカスは、メンバーたちの畏怖と尊敬の対象でもあります。全編に聖書や伝説のテーマがちりばめられているので、それを分析することもできそうです。でも、深遠な会話が続いた後にはいつも意表を突く展開があり、エンターテインメント性も十分あります。クライマックスは、頭を殴られて心身に不調を来したミアが、登場人物ほぼ全員を招いて賑やかに快気祝いをするシーンです。パーティはアーサー王宮廷における緑の騎士のように、意外な人物の登場により中断されます。出席していなかった人たちについても、さらに驚くようなことが起こります。

固定電話
 携帯電話やメールが普及する前なので、通信手段として固定電話と手紙がクローズアップされています。小説に手紙がさし挟まれると、語りの視点が変わって奥行きが感じられます。時代設定はたかだか20年ほど前に過ぎないのに、終盤になって「ファックスはすばらしい機械だ」という台詞が見られ、妙に古めかしく思えます。クスッと笑えるのは、イギリスらしく人々は困ったときはまず紅茶を飲むことです。

文章の一つ一つに、「おもしろさ」が込められています。本を読んでも、いまいち楽しめないとか、合わないと思うことはよくあるし、読書などあまり日常生活の役には立たないことが多い気がします(もちろん、役に立つことのみが意味のあることではありませんが)。でも、こういう小説を読むと思いがけずご褒美をもらったようでうれしくなります。本書は500頁弱あり、読むのに2ヶ月もかかってしまいましたが、時間をかけてゆっくり味わう甲斐のある作品だと思いました。最後にはいろいろな恋が花開き、物事があるべき所に落ち着きつつも、未来への広がりを感じさせる結末となっています。

なお、トップ画像はサージェントによるヴィッカーズ姉妹の肖像画です。髪の色と目の色が、本書のアンダーソン姉妹と同じでした。

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