2014年3月21日金曜日

ビーズの多面体とヒンメリ



 母が竹ビーズで正多面体を作っていたのを見て、「これは驚異の棚にピッタリでは?!」と思い、作り方を教わって作ってみました。作り方は「科学体験クラブ府中」を参照させていただきました。ストローとゴム紐を使って練習する、と書かれていますが、ストローで作ったものを保管したくはないので、ガラスビーズとテグスで作りました。赤や青などのビーズを使用して作ったものも見せてもらいましたが、金と銀が好みです。



八面体の蛍石と並べたくなります。驚異の棚にも飾りました。運ぶのが大変そうですし、材料を揃えるのも一苦労なので作っていませんが、モビールにしても良さそうです。アメリカには100円ショップや東○ハンズのようなお店があまりなく、工作材料全般も質が低く値段が高めなので、ハンドメイドをするなら日本の方が良いように思います。工作材料を買おうとすると、販売単位が大きすぎて、(2つ欲しいのに、100個入りしか販売されていない、とか)余ってしまうのももったいないです。

六十面体、星型八面体、凹デルタ十二面体



「正多面体クラブ」に作り方が掲載されている「八角星(星型八面体)」と「二十角星(星型二十面体B?六十面体)」はいずれも星型正多面体ではありません。私が「庭園美術館にあるランプの形が好きだ」と言ったので、母が、同様に一筆書きでできる小星型十二面体を考案しました @_@ ただ、この星型正多面体の構成面は1:1.618...の星型五角形であるところ、それに相当する長さの竹ビーズが都合良く販売されているわけではありません。そこで、母は麦わらで作るフィンランドのモビール、「ヒンメリ」の応用で、麦わらで作っていました。これなら長さを調整して作ることができます。


さらに、「大十二面体」も作っていました。これは、二十角星の応用で、藁の長さを変えて作るそうです。ヒンメリは白い壁に吊るすと影も美しいです。

2014年3月20日木曜日

『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』

ギュスターヴ・モロー

【書誌情報】
村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、新潮社、1985年

【あらすじ】
Wikipedia

【コメント】
アメリカ人の友人が主催する読書会の課題図書でしたが、英訳を読むのは気が進まなかったので日本語で読みました。現在活躍中で、作品も広く普及している日本人作家の作品はあまり食指が動かず、世界的に有名な作家なのに、恥ずかしながら読んだのは初めてです。半分くらい読んだところで読書会は中止になってしまいましたが、せっかくなので読みました。

評価が高く、人気のある作家の作品を「つま○ない」などと言うのは、自分の理解力のなさと感性の低さを露呈するようで、憚りがありますが、他人の夢日記を読んでいるかのようで、白けました。平たく言うとつ○らないです。サイファイ的な舞台設定に目新しさはあるものの、人間関係と心理描写がどうにも薄いというか、物足りなく感じました。主人公はスカした変な男で、違和感があって乗れないし、音楽や服のブランド、お酒の銘柄の固有名詞が頻繁に登場し、かなり大切なもののように扱っているのもあざといように思いました。

とはいえ、本作の『失われた時を求めて』への言及は、興味深く読みました。冒頭から「プルースト」の名前が、物語の内容とは無関係に登場します。主要登場人物である、「博士」とその孫娘との緊密な関係は、『失われた時を求めて』の語り手の祖母と、語り手の関係を彷彿とさせます。図書館員の女性が主人公のために便宜を図ったことのお返しに所望する「コーヒーとピスタチオのアイスクリーム」は『失われた時を求めて』第一部で、語り手の両親がスワン氏にふるまったアイスクリームのフレーバーですし、『世界の終り~』の、以下のような記述は、プルーストを意識しているように思います。
「失ったものは既に失われたものだ。あれこれと考えたところでもとに戻るわけではないのだ。」

「優れた音楽家は意識を音に置きかえることができるし、画家は色や形に置きかえる。小説家はストーリーに置きかえます。」
『失われた時を求めて』がメビウスの輪的構造になっているところ、本作は入れ子構造になっているのも、偶然ではないのかもしれません。ただ、個人的には本作がプルーストのように100年も読み継がれる作品なのかどうかは疑問です。

Wikipediaを読んで「セカイ系」について興味を覚えました。
まったく関係がありませんが、「世界の終り」ではなく、ケイト・アトキンソンの『世界が終わるわけではなく』の方が好みに合います。ついでに言うと、『世界が終わるわけではなく』は入れ子かつメビウスの輪的構造の短篇集です。

2014年3月18日火曜日

ビーチコーミング、鎌倉土産


江ノ電に乗って途中下車し、湘南海岸を散策しました。海辺は風が強く寒かったですが、お天気は良く、うっすらとした富士山が見えました。筏を漕いでいる人がいました。


ゴミが少なく、きれいな海岸です。冬、しかも平日だったので、浜辺は人が少なく、歩きやすいです。泳ぐには寒すぎますが、冬の海岸の楽しみはビーチコーミングです。アサリや白い二枚貝の他、巻き貝やタカラガイ、小さなアワビの殻を拾いました。一度にこんなにいろいろな種類の貝殻を拾ったのは初めてです。お土産屋さんには特に欲しいものはありませんでしたが、貝は小さくても一つ一つが完成した形で、心ひかれます。


母が浜辺散策の記念に、鳩サブレーの豊島屋で貝の形の落雁を買ってくれました。箱には青海波が印刷されていて、白い薄紙で被ってあります。味は和三盆を使った普通の落雁です。

鎌倉小旅行




夫が「せっかく帰国したんだから、旅行してきや」と言ってくれたので、日帰りで鎌倉に行きました。渡米前は神奈川に住んでいたので、鎌倉は何度か週末に遊びに行ったことがあります。

両脇に紫陽花


北鎌倉で電車を降り、お寺を見た後、鎌倉駅近くの鏑木清方美術館へ行って、江ノ電に乗って海を見るコースにしました。紫陽花の名所、明月院へ行きました。梅もよく咲いていて、大きな木の根や、岩などが自然のままの姿で、山の中に切り拓いた感じのお寺でした。「月」に因むのか、うさぎを飼っていて、庭園や茶店にもうさぎモチーフが見られました。菖蒲園(花の季節以外は立入禁止)を見渡せる、本堂の丸い窓も月を模しているのでしょうか。竹の陰から顔を出していた天女さんも月と関係があるのかもしれません。




梅が見たかったので、浄智寺に行くつもりでしたが、線路を横断しそびれて行けませんでした。建長寺へ行きました。本堂は大きくて立派ですが、まわりの小さなお寺も風情があります。門から中を見るたとき、庭木や灯篭が絵になるように配置されていると思いました。

鶴岡八幡宮はスキップし、小町通から一本入ったところにある、鏑木清方美術館へ行きました。もと清方邸を改装した小さな美術館で、展示も少ないですが、いつも展示に変化があるので、鎌倉を訪れる度に立ち寄ります。大通りの賑わいとはうって変わって、静かな所です。寺社仏閣めぐりで脚が少し疲れると、喫茶店などにはいらずに、ここの椅子に座って庭を眺めるのが気に入っています。清方関連の図録や絵葉書などのお土産品も豊富です。

2014年3月17日月曜日

英国唯美主義展




 三菱一号館美術館で開催されていた「英国唯美主義展」に行きました。同館は、かつて銀行だった赤煉瓦の建物を美術館としてリニューアルしたそうで、建物、内装に風格があります。きれいな建物で美術品を鑑賞するのはとりわけ贅沢なことだと思います。 森美術館のラファエル前派展よりも多彩な展示物があり、絵画だけでなく設計図、家具、アクセサリーなどもあります。

唯美主義(耽美主義)とは、Wikipediaによると
...19世紀後半、フランス・イギリスを中心に起こり、生活を芸術化して官能の享楽を求めた。1860年頃に始まり、作品の価値はそれに込められた思想やメッセージではなく、形態と色彩の美にある、とする立場である。 
とのことです。 作家では、オスカー・ワイルドらが、画家ではホイッスラー、ロセッティ、オーブリー・ビアズリーらがいます。東方からの影響を受け、装飾として孔雀の羽や花、イチョウの葉などを多用し、白地の陶器に青で絵付けしたものが好まれた、といった特徴があります。

フレデリック・レイトン卿「桜桃」
フレデリック・レイトン卿の作品は、リアリティのかけらもなく、とりわけ目新しくもなく、ともすれば通俗的とも言えるためか、現在ではペーパーバックの表紙に良く使われるものの、評価は不当に低い気がします。そういった諸々のことも、絵を目の前にすると「そうはいっても美しいからいいのでは」と思います。ひたすら甘く、美しいだけですが、これだけ徹底して美しければそれはそれでありだと思います。美に耽溺するのが唯美主義なので、難しいこと抜きで、きれいだと思えれば、それでねらいは果たしているのでしょう。

シメオン・ソロモン「花嫁、花婿と悲しい愛」

シメオン・ソロモン「ビアトリス」

バーン・ジョーンズ「天地創造の日々」
シメオン・ソロモンはロセッティやバーン・ジョーンズとも交流のあった後期ラファエル前派の画家です。同性愛者だったため、逮捕されて画家としてのキャリアを中断され、救貧院で亡くなりました。「花嫁、花婿と悲しい愛」は彼の同性愛的傾向が現れている一枚だと思います。天使の表情は当時反社会的とされていた同性愛者の悲哀を反映しているかのようで、裸体表現のきわどさよりも、全体に漂う悲しい雰囲気が印象的です。シメオン・ソロモンの画風はバーン・ジョーンズに通じます。しかし、バーン・ジョーンズの人物は時に両性具有的で、それは男性像が女性的であることからそう思うのですが、シメオン・ソロモンの女性像は男性的な特徴を備えて両性具有的であることが多いです。王立美術院で学び、18歳で個展を開くなど、若くして華やかなスタートを切ったものの、晩年は不遇だったシメオン・ソロモンは、オクスフォード大学を中退し、正規の美術教育を受けずに独学で絵画を学んで画家として成功し、爵位を得たバーン・ジョーンズの裏返しのような生涯です。なお、シメオン・ソロモンの「ビアトリス」とバーン・ジョーンズの「天地創造の日々」は展覧会には出展されていません。

エレン・テリーと駆け落ちした建築家のエドワード・ゴドウィンによる設計図や、ヴィクトリア朝の芸術のパトロンだったアイオニディーズ一族の貴婦人の肖像画などがあり、ラファエル前派にも連なるいろいろな名前が見られて、興味深く展示を見ました。

2014年3月15日土曜日

シャヴァンヌ展



1月2日~3月9日まで、渋谷の東急Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた「
シャヴァンヌ展」にどうしても行きたくて、夫に無理を言って一時帰国させてもらいました。シャヴァンヌは宮殿や公共建築物に大規模な壁画を描くことが多く、持ち運びのできる作品は、主に壁画の習作や縮小版として描かれました。


「気球」、「伝書鳩」
シャヴァンヌは以前からファンで、中学3年生のときに英仏を旅行した時から、美術館に行くと必ず作品を探しました。2、3枚は所蔵されていることが多いですが、絵画は散逸してしまったのか、まとまった展示はなかなか見ることができません。1999年に西洋美術館で開催された「オルセー美術館展」に出品されていた「気球」と「伝書鳩」も印象的です。今回はその習作が出品されていました。展覧会が開催されたことがうれしかったので、ファンレターを書いて持っていきました。

リヨン美術館の壁画
シャヴァンヌの魅力は、美しいパステルカラーと時が止まったかのような静謐さにあると思います。神秘的でありながら、手を伸ばせば届きそうな、軽やかさと親しみやすさを感じます。ギリシア神話の世界と、キリスト教的世界が融合しているようでもあります。私はミューズやパリの夢を見るわけではありませんが、 シャヴァンヌの作品は一番快く、よく眠れたときの夢に通じる雰囲気があります。展覧会を見終えると、覚醒したまま深い眠りの中の夢の世界を体験したような、不思議な気分になりました。展覧会には時々行きますが、このような体験は初めてです。

シャヴァンヌは画集も少ないので、大喜びで重い図録を買って帰りました。代表的な壁画の一つがある、ボストン公立図書館の近くに住めたのは本当に幸運なことなので、また図書館にも行こうと思います。ますます憧れが募り、いつかはフランスで「シャヴァンヌめぐり」をしたいものだと思いました。快く日本へ送り出してくれた夫に感謝します。