2014年2月25日火曜日

歌う指揮者



ボストン交響楽団のコンサートへ行きました。プログラムは
  • ドヴォルザーク「ロマンス」
  • ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲
  • ベートーヴェン 交響曲第3番
で、ソリストはアンネ・ゾフィー・ムターでした。せっかくのムターでしたが、席は前から三列めの袖の方だったので腕しか見えませんでした。ドヴォルザークの三楽章がキレの良い演奏で、非常に良かったです。

指揮者はよく見える席でした。今回の指揮者のマンフレート・ホーネックはオーストリア出身でもとヴィオラ奏者でした。ホーネックの指揮はエレガントで、映画に出てくる19世紀のダンスのような動きをするし、指揮棒が魔法にかかったかのようになめらかに動いて、見ている分には美しいです。でも、力が入りすぎると(?)低く歌う、というかうなるのが気になりました。もっと後ろの方で聴けば聴こえなかったのかもしれませんが、私の座っていた席からだとよく聴こえすぎて、集中が削がれました。コンサートに行って、スコアに書いてある以外の音は聴きたくないかもしれません。とはいえ、やはりベートーヴェンはライヴで聴くと感動もひとしおです。改めて聴くと、転調がおもしろい音楽で、BSOの演奏はピアニシモが繊細ながらはっきり聴こえたのが印象的です。

2014年2月23日日曜日

フォンダンショコラ

 
とけたチョコレートのタンク
"I like our new lettering," he said thoughtfully. The words "Stewart Ansell" were repeated again and again along the High Street—curly gold letters that seemed to float in tanks of glazed chocolate.
(Edward Morgan Forster, The Longest Journey)
バレンタインデーにフォンダンショコラを焼きました。以前作ってお弁当に入れたら、夫から「チョコレートケーキがうますぎて、もう生きていけない」(?)というメールをもらったからでした。フォンダンショコラのレシピはいろいろありますが、その多くはチョコレートケーキを生焼けで食べる感じで、抵抗があります。このレシピは、ケーキ生地とガナッシュを別仕立てにしているので、ケーキ部分にしっかり火が通るかと思って、これを使いました。小さいラメキンで作りました。

フォンダンショコラは焼きたてを食べて、溶けたチョコレートが出てくるところに特徴がありますが、夫は冷やした方が好きだと言うので、冷やして出しました。手作りチョコレートは嫌厭される向きも(たしかに、とかして固めただけのはイヤ、というのは分かります。溶かさない方がおいしいです)チョコレートケーキなら喜んでもらえるかも?!

引用はE.M.フォースターの『果てしなき旅』の一部分ですが、これは結婚に失敗する話で、バレンタインデー向きのラブストーリーとしては同じ作者の『眺めのいい部屋』の方が良いと思います。なお、「とけたチョコレートのタンクに渦巻いた金色のレタリングが浮かんでいるような」表札は、信じられないほど悪趣味だと主人公は評しています。

2014年2月21日金曜日

ラファエル前派の画家とモデル 14.エマ・マドックス・ブラウン


Emma Madox Brown
フォード・マドックス・ブラウンはラファエル前派(以下「PRB」)のメンバーではないものの、モデルも含む、PRB関係者、特にロセッティと親しかった。エマは、労働者階級の出身で、妻を亡くしたマドックス・ブラウンの内縁の妻として長期間過ごした後、結婚した。

【モデルとなった主な作品】

マドクス・ブラウン「イギリスの見納め」バーミンガム美術館、1855年

マドックス・ブラウン「かわいい仔羊」バーミンガム美術館、1859年

「あなたの息子です、旦那様」テイト美術館、1856年
上の三つの作品はエマがモデルとなりました。マドックス・ブラウンはPRBを語る上で無視できない画家です。特に、「英国の見納め」は彼の代表作とされています。男性のモデルはマドックス・ブラウン本人です。船に乗って、オーストラリアへ移住する場面を描いています。奥さんの帽子のリボンや、柵に吊るされたキャベツの描写がリアルです。

マドックス・ブラウンの作品を見ると、PRBの他の画家ほど作品の完成度が高くないのでは?と思ってしまいます。人物の顔色が不自然で美しくないし、表情や姿勢もなんとなく変です(たとえば、新生児をこんなふうにむんずと掴んで差し出すのはそうとうに不自然ではないでしょうか)。PRBの画家はいずれ唯美主義的な性格を持っていますが、マドックス・ブラウンは唯美主義立場はとらず、風刺を重視していて、作品にはグロテスクさすら感じられるからかもしれません。

ロセッティ「エマ・マドックス・ブラウン」
 このスケッチは、ロセッティからマドックス・ブラウン夫妻への結婚祝いでした。エマは労働者階級出身で、教育がありませんでしたが、可憐な美少女でした。アルコールを飲みすぎるという欠点があり、マドックス・ブラウンとは概ね仲が良かったものの、口論が絶えませんでした。しかし、親切でバランスの取れた性格で、神経質で気難しいエリザベス・シダルの良き友人でした。

【その他】
  • エマの継娘(マドックス・ブラウンと先妻との子)のルーシー・マドックス・ブラウンと、娘のキャサリンも画家です。さほど有名ではありません。
  •  孫のフォード・マドックス・フォードはマドックス・ブラウンの伝記を著しました。非常にたくさんの著作があるのみならず、The English Reviewを創刊し、ハーディ、H.G.ウェルズ、ヘンリー・ジェイムズ、ジョセフ・コンラッドらの小説を出版しました。


2014年2月19日水曜日

ラファエル前派の画家とモデル 11.ジュリア・スティーヴン


Julia Prinsep Stephen (1846-1895)
インド生まれ、父はジャクソン医師、母はヴィクトリア朝上流階級の美人姉妹として名高い、パトル姉妹の一人、マライア。叔母に写真家のジュリア・マーガレット・キャメロン、いとこに画家のヴァレンタイン・プリンセプがいる。弁護士のダックワース氏と結婚したが、死別し、歴史学者のレズリー・スティーヴン卿と再婚した。スティーヴンとの間の娘は、画家のヴァネッサ・ベルと作家のヴァージニア・ウルフである。

【モデルとなった作品】
バーン・ジョーンズ「ドラゴンの元へ連れていかれるサブラ姫」1866年
 ジュリア・スティーヴンは美人で名高く、英語Wikipediaには
「ラファエル前派や、伯母ジュリア・マーガレット・キャメロンら初期の写真家たちのモデルとしてヴィクトリア朝社会に足跡をのこした美貌の一族の出身である」
との記述があります。
バーン・ジョーンズは神話や伝説に取材した作品を多く描きました。聖ジョージとサブラ姫の伝説を題材とするものも、10枚は下らないようです。マリア・ザンバコをモデルに描かれた魔女や、情熱的な女性像とはうって変わって、サブラ姫はいずれの作品でも清楚な姿に描かれています。

バーン・ジョーンズ「くじを引くサブラ姫」ハノーヴァー大学、1866年
 「くじを引くサブラ姫」については、ジュリア・スティーヴンがモデルとなったという資料は見つかりませんでしたが、バーン・ジョーンズの描く女性は誰もが似ています。白い服を着た数名の乙女たちという主題は「黄金の階段」でも扱われています。「欺かれたマーリン」や「フィリスとデモフォーン」はドラマチックで、バーン・ジョーンズの代表作といわれるのはそれらの作品だと思います。しかし、彼の静謐で穏やかな画風には、上のような、緊張感がありつつも全体としては静けさの感じられるような主題、あるいはキリスト教的な主題が合うような気がします。

バーン・ジョーンズ「受胎告知」
 バーン・ジョーンズは「受胎告知」も複数のヴァージョンを描いています。本作は、ボッティチェリなど、ルネサンスの画家の影響を受けています。彼はステンドグラスのデザインも手がけたところ、この「受胎告知」は細長い構図がステンドグラスを思わせます。聖母マリアは、自分の運命を決定するできごとに遭遇し、おそれを抱いているかのように、ドレスの裾を握りしめています。背後のアーチのレリーフは、アダムとイヴの楽園追放の様子です。バーン・ジョーンズは天使の服のドレープに見られるように、線の表現には入念でしたが、空間表現はややおざなりで、遠近法は不完全です。また、光と影の表現も行われておらず、画面全体が均一な光で照らし出されています。バーン・ジョーンズの目的はリアリティや臨場感を描き出すことではなく、詩情や精神性の表現でした。鑑賞者は聖なるものとの隔たりに思いをはせ、マリアの抱く畏怖の念を共有することが意図されています。出典
不完全な空間表現や、均一な光の照射が、却って静かで、神秘的な効果を生んでいる一枚であると思います。

ジュリア・マーガレット・キャメロンは娘からカメラを贈られたことをきっかけに、プロの写真家となり、親戚や知人に中世風の衣装を着せて、アーサー王伝説などをテーマとする写真を撮りました。姪のジュリアは、キャメロンお気に入りのモデルでした。写真を見ると、ジュリア・スティーヴンがバーン・ジョーンズの作品そのままの、端正な美人であったことが分かります。

【その他】
  • ヴァージニア・ウルフの小説、To the Lighthouse『灯台(燈台)へ』のラムゼイ夫人のモデルはジュリア・スティーヴンです。ウルフの回想記、『存在の瞬間』にも登場し、ウルフにとって母親が非常に重要な存在であったことが分かります。
  • ジュリアは看護の技術があり、看護に関する文章も書いたようです。
  • 娘のヴァネッサ・ベルは画家ですが、ラファエル前派とは異なる画風です。ヴァネッサの孫のヘンリエッタ・ガーネットはラファエル前派のモデルたちに関する、Wives and Stunners:The Pre-Raphaelites and Their Musesの著作があります。

2014年2月16日日曜日

ラファエル前派の画家とモデル 9.ジョージアナ・バーン・ジョーンズとマーガレット



Georgiana Burne-Jones (1840-1920)
スコットランドのジョージ・マクドナルド牧師(同姓同名の作家とは無関係)の娘として生まれる。15歳の時、兄の級友であったエドワード・バーン・ジョーンズと知り合い、婚約する。バーン・ジョーンズはオクスフォード大学で神学を専攻し、そこでウィリアム・モリスと出会った。モリス、バーン・ジョーンズはロセッティの影響により芸術を志すようになり、バーン・ジョーンズは大学を中退して画家となる決意をした。バーン・ジョーンズとジョージアナは1860年に結婚した。その後、バーン・ジョーンズはモデルのマリア・ザンバコと駆落ち騒動を起こすものの、最終的には妻の元へ戻った。ジョージアナはバーン・ジョーンズの回想記を執筆している。自身も多少の絵画をのこしているほか、モリスや作家、ジョージ・エリオットの良き友人でもあった。


Margaret Mackail (nee Burne-Jones, 1866-1953)
エドワード・バーン・ジョーンズとジョージアナの娘。オクスフォード大学の教授、W.M.マッケールと結婚した。3人の子供が生まれ、うち二人は作家になった。

【モデルをつとめた主な作品】
バーン・ジョーンズ「クララ・フォン・ボルク」テイト美術館、1860年
バーン・ジョーンズはマインハルトの詩、「魔女シドニア」に基づき、二枚の作品を描きました。一枚はロセッティの愛人、ファニー・コーンフォースがモデルとなった「シドニア・フォン・ボルク」で、もう一枚はシドニアの妹、クララを描いた本作です。マインホルトは、クララについて「知的で、勇気があり、誠実で、物静かな、親しみやすい性格であり、信仰深く、キリスト教徒らしい振舞をした」と書いています。バーン・ジョーンズは、ネコから遠ざけるために、手の中に鳩のヒナを描くことにより、クララのやさしい性格を描き出しました。ヒナを狙う黒猫はシドニアの使い魔であり、クララが姉の手により殺されることを暗示しています。出典
前面に静止した主役を大きく描き、背景に顔が判別できない、立ち働く侍女たちを描いているのが、ルネサンス的な表現であると思います。

バーン・ジョーンズ「緑の夏」1868年

ミレー「りんごの花」1859年
中央に座っている、孔雀の羽を持っている女性がジェーン・モリスで、後ろを向いて、頭に白い布を被り、読書しているのがジョージアナです。他に、ジョージアナの姉妹もモデルをつとめました。女性達が草の上に座り、テーマが季節であることから、J.E.ミレーの「りんごの花」を思わせる一枚ですが、バーン・ジョーンズの作品は古代風の衣装や、森のほの暗さなどが、神話的な雰囲気を生み出しています。

バーン・ジョーンズ「ジョージアナと子供たち」

バーン・ジョーンズ「マーガレット」

バーン・ジョーンズ「いばら姫」バスコット荘園、1890年
バーン・ジョーンズはグリム童話の一篇、「いばら姫」に取材した連作を描きました。いばら姫のモデルは、娘のマーガレットです。4枚で構成される連作は、一枚ごとにストーリーが進行する形式ではなく、同じ時点の別地点を描いています。それぞれの絵の下に、ウィリアム・モリスによる短い詩が書かれています。バーン・ジョーンズの描くマーガレットは、この世のものならぬ美しさ、かわいらしさで、バーン・ジョーンズにとって、お嬢さんはイバラと侍女たちに守られて眠るお姫様のような大切な存在だったのだろうか、と思います。
この作品に影響を受けたと思われる「いばら姫」

バーン・ジョーンズ「プシュケの結婚」ベルギー王室美術館、1895年

【その他】
アリス・キプリング

アグネス・ポインター

ルイーザ・ボールドウィン
  • ジョージアナはマクドナルド牧師の7人の娘たちの一人でした。夭逝した二人と、生涯未婚だった一人を除き、姉妹はそれぞれ著名人と結婚しました。ジョージアナの姉、アリスは、ラドヤード・キプリングの母となり、妹のアグネスは画家のエドワード・ポインターと結婚し、もう一人の妹のルイーザは実業家ボールドウィンの妻となり、息子はスタンリー・ボールドウィン首相です。
  •  マーガレットには子供が3人ありました。上の写真は、バーン・ジョーンズと孫たちです。おじいちゃんは、孫がイタズラをした罰として、壁に向かって立たされる間、罰を受ける苦しみが軽減されるようにと、壁に妖精、花、小鳥、うさぎなどを描いた、というエピソードがあります。出典

2014年2月11日火曜日

ラファエル前派の画家とモデル 4.メイ・モリス



May Morris (1862-1938)
ウィリアム・モリスとジェーンの次女として生まれる。母ジェーンと叔母より刺繍の手ほどきを受ける。美術学校で刺繍を学び、23歳でモリス商会刺繍部の責任者となる。父の影響で社会主義に傾倒し、社会主義連盟のスパーリングと結婚したが、メイがジョージ・バーナード・ショーと恋愛関係に陥ったために、離婚した。イギリスの芸術家協会Art Worker's Guildが女性の参加を認めていなかったため、Women's Guild of Artsを設立した。父の著作全24巻を編纂し、刺繍のデザインと実際の刺繍を行った他、アクセサリーのデザインを行った。「芸術刺繍」の発展に貢献した。

【モデルをつとめた主な作品】

ロセッティ「マグダラのマリア」デラウェア美術館、1877年
モデルはメイ・モリスではありませんでした。失礼しました。


左から、マーガレット・バーン・ジョーンズ、メイ、ジェニー、フィリップ・パーン・ジョーンズ
メイは大作にはあまり描かれませんでしたが、ロセッティはメイをモデルに「マグダラのマリア」を描いた他、いくつかのスケッチをのこしています。
【訂正】「マグダラのマリア」のモデルは別人のようです。お詫びして訂正致します。
ロセッティが子供を描くことは珍しく、時折ケルビム(子供の姿をした天使)などが描かれていたとしても、サイズが小さいだけの大人のような、子供らしくない姿という印象を持ちます。彼が描いたメイは、ロセッティの理想とした顔の特徴が随所に見られるものの、写真と見比べてみると本人にそっくりとは言えないように思います。

バーン・ジョーンズ「黄金の階段」テイト美術館、1880年

同、部分
ウィリアム・モリスとバーン・ジョーンズは大学時代から親しく、結婚後は家族ぐるみで付き合いがありました。メイは、バーン・ジョーンズの「黄金の階段」のモデルの一人をつとめました。同じような服装、似た顔の少女が20人ほども描かれているので、見分けが付きにくいですが、階段の中ほどで弦楽器を演奏しているのがメイです。最上段にいるのは、バーン・ジョーンズの娘、マーガレットです。本作には特定の文学的なソースがあるわけではなく、単に象徴的、唯美主義的な表現として描かれました。批評家のG.F.スティーブンスは、「神秘的な夢の光景のように、音楽を演奏する一団が通り過ぎる。少女達がどこへいくのか、誰であるのか、知る術はない」と書いています。

【その他】
メイのデザインによる刺繍作品
  • モリスとジェーンの長女、ジェニーは生涯、てんかんに苦しみ、結婚はしませんでした。メイにも子供はなく、モリスの直系子孫は現在はいません。
  • メイのデザインした刺繍作品は、父であるウィリアム・モリスとまとめて紹介されることが多く、影に隠れてしまいがちですが、すぐれた独自のデザインを作成しました。
  • ウィリアム・モリスの社会主義思想は著作、『ユートピアだより』にに現れています。中世を舞台にした騎士物語もいくつか書いているようです。 

2014年2月8日土曜日

ラファエル前派の画家とモデル 1.クリスティーナ・ロセッテイ


Christina Rossetti(1830-1894)
ロンドンにて、イタリアから亡命してきた詩人のガブリエル・ロセッティと妻のフランセスの末子として生まれる。長兄は画家、詩人のダンテ・ガブリエル・ロセッティ、次兄ウィリアム・マイケルと姉のフランセスはともに文筆家。クリスティーナは文字を学ぶ前に、母親にお話を口述した。家庭で教育を受け、詩を愛読した。とくにダンテ、ペトラルカなどイタリアの詩人から強く影響を受けた。10台の後半には、ラファエル前派のメンバーの一人と婚約していたが、結婚には至らず、生涯独身を通した。
クリスティーナの初期の詩作品は、ロマン派の伝統に則った、死や喪失に関するものが多い。31歳の時、Goblin Market and Other Poemsを発表して広く賞賛され、エリザベス・バレット・ブラウニングの後継者とも言われた。詩にはフェミニズム的への傾倒も見られる。

【モデルをつとめた主な作品】

D.G.ロセッティ「聖母マリアの少女時代」テイト美術館、1848年ころ
刺繍をしているマリアのモデルがクリスティーナ、その隣に座るアンナは母フランセスがモデル。クリスティーナの髪の色は、画面の色彩効果のために、実際の色から変更されています。多くの小道具が象徴的に扱われています。たとえば、床に落ちているシュロの葉と茨はキリストの受難を、百合の花はマリアの純潔を、本は「希望、忠実、慈悲」の美徳を、鳩は精霊をあらわします。この作品はロセッティの油彩画第一作で、PRB(Pre Raphaelite Brotherhood=ラファエル前派)と署名されたはじめての作品です。出典

D.G.ロセッティ「見よ、我は主の婢なり」テイト美術館、1850年ころ
マリアのモデルがクリスティーナ、ガブリエルのモデルはウィリアム・マイケル。ロセッティはボッティチェリなど初期ルネサンスの画家より影響を受け、本作で受胎告知の前衛的解釈を試みました。伝統的な受胎告知の図におけるマリアは、読書し、沈思している姿で描かれることが多いのですが、ここではガブリエルに寝ているところを起こされたかのように、ベッドに座っている姿で描かれています。また、ガブリエルに翼がない上に裸に近い服装であること、鳩に光輪が描かれていることなども、伝統から外れるもので、批評家からは賛否両論を受けました。白が中心の画面は聖母の処女性を表しています。「聖母マリアの少女時代」で刺繍をしていた細長く赤い布が、右手に見えます。赤はキリストの血を象徴し、百合はもともと聖母マリアの花であると同時に、葬儀の花でもあり、キリストの死を象徴しています。マリアとガブリエルの光輪の大きさなどが異なるのは、別の時期に描かれたためです。出典1出典2

【その他】
Sing-Song: a Nursery Rhyme Book より

クリスティーナの童謡集、Sing-Song: a Nursery Rhyme Bookはラファエル前派とも近い関係にあった、アーサー・ヒューズが挿絵を描いています。

フェルナン・クノップフ「私は自分自身に対して扉を閉ざす」ノイエ・ピナコテーク、1891年
ベルギー象徴派の画家である、フェルナン・クノップフの「私は自分自身に対して扉を閉ざす」はクリスティーナの詩、Who Shall Deliver Me?の一節から着想を得ています。クノップフは、ラファエル前派の画家たちや、イギリスのG.F.ウォッツらと親交がありました。

2014年2月5日水曜日

メトロポリタン美術館のカレンダー



今年のカレンダーはメトロポリタン美術館のオンラインショップで買ったもので、(ほぼ)毎日1枚ずつ、同美術館の所蔵品の写真が掲載されています。その上下の日付部分には、ちゃんとその美術品を真似して描いたり、ツボから顔を出すなどのラクガキをするためのスペースが準備されている、優れたカレンダーです。1月は私ばかり描いてしまったので、夫に「punkaばっかり楽しまんといて。わしも描きたかったのに…」と言われました。あと300日分ほども残っているから大丈夫ですよ、と言っておきました。毎日マンガを描くスペースのあるカレンダーは広く普及していますが、このようにバラエティに富んだ絵が日めくり式に出てくると、マンガのネタにも困らず、便利です。

2014年2月3日月曜日

ウェルシュケーキ

作った


ウェルシュケーキはスコーンに似たクッキーのようなお菓子です。「ケーキ」といっても、スポンジケーキのようなふわふわしたものではありません。レーズンがあったので、作ってみました。

【材料】
  • 薄力粉か中力粉 200g
  • ベーキングパウダー 小さじ1
  • バター 80g
  • 砂糖 60g
  • 卵 1個
  • レーズン 30~50g
  • 粉砂糖 大さじ2くらい
【手順】
  1. 粉とベーキングパウダーをふるう。冷たいバターを1センチ角に切って、指先で粉にまぶすようにして、砂状にする。
  2. レーズンを加える。
  3. 溶き卵に牛乳と砂糖を入れて混ぜる。
  4. 2.に3.を加えてさっくり混ぜた後、こねすぎないように手でまとめる。
  5. 5ミリくらいの厚さにのし、型抜きする。手で丸めて潰すのでもOKと思います。
  6. 弱火に熱したフライパンで両面を焼く。
  7. 熱いうちに粉砂糖をまぶす。
レシピはいろいろありますが、レーズンを入れること、フライパンで焼くことはどのレシピにも共通しています。ウェルシュケーキそのものがスコーンよりは甘いですが、レーズンを入れ、焼きあがりに粉砂糖をまぶし、さらに食べるときにはジャムをはさむそうです。ジャムまでつけるのは甘すぎる気がします。クッキーと違って、バターを室温に戻したり、生地を寝かせたりする必要がなく、焼くのもフライパンでできます。弱火で焼くと、こんがりとキツネ色の焼き色がついて見た目がおいしそうです。食感はクッキーよりもホロホロです。紅茶に合うと思いました。