【薄明かりの絵画】ドイツ・ロマン主義

ルートヴィッヒ・リヒター「シュレッケンシュタインの渡舟」1837年、ドレスデン美術館
【ロマン主義】
ロマン主義は、1770〜1850年頃の芸術運動で、19世紀前半が最盛期でした。ドイツの「疾風怒濤」を起源とし、視覚芸術のみならず、音楽や文学においても重要な一分野です。産業革命や、科学的な自然の理解、啓蒙主義思想の広がりとともに発達した、合理主義に反発するもので、直勘や畏怖などの感情や、手付かずの自然の荘厳な美を重視しました。感情の率直な表現と、ありのままの自然描写が特徴と言えます。人口増加や資本主義からの逃避として、中世リヴァイヴァルを目指していた面もあります。

フリードリッヒ「海辺の月の出」1822年、旧国立美術館(ベルリン)
オットー・ルンゲ「朝」(部分)1809-10、ハンブルク美術館

【フリードリッヒとオットー・ランゲ】 
カスパー・ダヴィット・フリードリッヒ(1774-1830)は、デンマークとオランダのアカデミーで学び、1805年に、ゲーテの主催するヴァイマールのコンテストで優勝しました。ベルリンとドレスデンのアカデミーの会員をつとめました。絵画は、自然の中に沈思し、自己の内面と向き合う、というアプローチをしています。風景の中に後ろ姿の人物がよく描かれているのは、見る人が、絵の人物と自分自身を重ね、荘厳な自然を体験することを意図しています。フリードリッヒは「目に見えるものだけではなく、自分の内面にうつるものを描くべきだ」という言葉をのこしています。夜明け黄昏はフリードリッヒが好んだテーマで、人物の描き込まれていない冬景色を描いた最初の画家でもあります。彼の描く冬の裸木や、船出(ケイロンの舟を思わせる)は、死の暗示であり、19世紀後半の象徴主義に影響を与えました。フリードリッヒはドイツ絵画史の重要な存在で、後世への影響は大きいです。

オットー・ランゲ (1777-1810)は画業を始めたのが遅かった上に、早逝しましたが、フリードリッヒと並ぶドイツロマン主義の画家とされています。始めコペンハーゲンに、次いでドレスデンで学び、フリードリッヒと出会いました。宇宙の調和を、色、形、数で象徴的に表現しようと試みました。三原色は、青:夜と神、赤:朝と夕暮れとキリスト、黄:精霊の、キリスト教における三位一体を示す、といった独自の色彩論を持っていて、色彩についてゲーテと議論しました。「一日の時間」という連作を、音楽や詩歌とともに展示する、というロマン主義的な総合芸術の構想を持っていましたが、実際は「朝」のみを完成させました。

ドイツのロマン主義の画家は、その他にルートヴィッヒ・リヒターや、ナザレ派のフリードリッヒ・シャドウなどがいます。

ヨハン・ダール(ノルウェー)「月光のドレスデン」1839年、ドレスデン美術館
フリードリッヒから大きな影響を受けた


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