【薄明かりの絵画】モーリス・ドニとシダネル


モーリス・ドニ「イヴォンヌ・ルロール」1897年

【ナビ派】
1868年に、ルドルフ・ジュリアンによりパリ芸術アカデミーの予備校としてアカデミー・ジュリアンが設立されました。ブーグローやジュール・ルフェーヴルが教鞭をとり、学生はローマ賞にも応募できる、名門美術学校でした。

1880年代に、アカデミズムに反発し、ゴーギャンを模範とした、アカデミー・ジュリアンの学生数人が「ナビ派」を組織しました。「ナビ」とはヘブライ語で「預言者」の意味で、古代の預言者がイスラエルを奮起させたように、新しい表現様式を生み、芸術の活性化を目指しました。後期印象主義や象徴主義、アール・ヌーヴォーの影響を受け、絵画だけでなく、ポスター、イラスト、テキスタイル、家具のデザインなど、幅広い活動をしました。芸術と日常生活の融合を目指したという意味では、イギリスのアーツ&クラフツ運動にも通じます。ゴーギャンやセザンヌのような色彩と、平面的な表現に特徴があります。中心となったのはポール・セリュジエで、メンバーにはフェリックス・ヴァロットンや彫刻家のマイヨール、マクシム・ドトマ等がいます。モーリス・ドニ、ボナール、エドワール・ヴィラールが有名ですが、ナビ派としてはむしろ辺縁にいたようです。

なお、ナビ派は短命で、1896年には解散し始め、メンバーはそれぞれ独自に活動しました。20世紀に入り、抽象美術、フォーヴィズム、表現主義などが現れると、ナビ派は保守的だと言われるようになりましたが、モダニズムに大きな影響を与えました。

ドニ「木の葉の中の梯子」1892年、ドニ美術館

【モーリス・ドニ】
ナビ派の色遣いは、鮮やかな原色、またはアースカラーが多いと思いますが、ドニは澄んだパステルカラーが美しいです。アカデミー・ジュリアンとパリの芸術アカデミーに学び、ジュール・ルフェーヴルに師事しました。風景画や、自分の家族をモデルとした母子像も多く描いていますが、特に宗教画に注力していました。1922年に『近代芸術と宗教芸術の新理論』を発表しました。
「絵画とは、一定の順序で組み立てられた色彩でおおわれた平面である」
 という言葉に表されるように、絵画の平面性を強調し、これはモダニズム(キュビズム、フォーヴィズム、抽象芸術)の出発点となりました。ドニは、「伝統的表現と技巧のために感情を犠牲にしている」としてアカデミズムを批判し、「音楽というよりも、散文だから」という理由でリアリズムも好みませんでした。神々しさの象徴として、「美」を重視していました。

シダネル「シャルトルの主教の家」1913年、個人蔵

シダネル「夕暮れのテーブル」1921年、大原美術館
【アンリ・シダネル】
シダネル(1862-1939)は、ナビ派のメンバーではなく、ドニとも関係がありませんが、ボナールやヴィラールのように、「親密主義」と言われることがあります。親密主義は、主に家庭の室内を絵画の主題としました。印象主義のように、点描法により、光と一瞬の時を表現しました。印象主義が、厳密な観察に基づいて色を用いたのに対し、親密主義は、豊かな感情表現のために、自然な色を強調したり、変更したりして描きました。シダネルは、夕暮れの情景を好んで描いた画家です。1880年から30年以上、エタプルの芸術家コロニーに参加しました。同コロニーは200人程度の多様な画家が集い、「エタプル派」などと称するには幅が広すぎるようですが、エタプル芸術家コロニーの一つの傾向は、Édouard Lévêqueが「オパール色の海岸」と表現しています。これは、シダネルの作品にも当てはまると思います。陽光ではなく、夜や夕暮れのほのかな明かりが特徴的です。シダネルの作品を見ると、私は『失われた時を求めて』を思うのですが、プルーストはシダネルを「卓越しているが、偉大な画家ではない」と評しています。

シダネルの作品を「人の気配はあるが描かれていない」と紹介されている方がいらして、なるほど、と思いました。薄明かりの絵画(というジャンルはありませんが)は、微妙な光の表現はもちろんですが、日中の光、人の気配、追憶、といったそこに描かれていないものごとに思いを至らせるような余韻を感じさせるのが魅力だと思います。

【一応のまとめ】
19世紀のイギリス、フランス、ドイツ、オーストリアの絵画史をかじってみて、一応まとめのようなものを挙げますと、
  • 中世や初期ルネサンスのリヴァイヴァル
  • 精神主義や神秘主義への傾倒
  • 反アカデミズムから出発した動きの、アカデミズムへの融合
  • 類似した動きが国をまたがって起こっている
があるかと思いました。目新しくもおもしろくもない結論ですが、広げすぎた風呂敷をうまくたためそうにないので、このまま逃げたいと思います。長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

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