Angels and Insects

モルフォ蝶
ロセッティ「祝福されし乙女」

【書誌情報】
A.S.Byatt, Angels and Insects, Chatto and Windus, 1992

【あらすじ】
 Morpho Eugenia
自然学者のウィリアムは、熱帯で昆虫の研究を行ったが、帰りの船が難破して研究成果を喪失し、失意の内にあった。裕福で博物趣味のある牧師の誘いにより、その家に滞在することになる。牧師の長女、ユージェニアとの身分違いの結婚はウィリアムに幸運をもたらしたようだったが、研究もままならず、不本意な生活をする。子供たちの家庭教師で、知的なマティと共にアリの生態を研究することがウィリアムの生きがいであったが、妻やその家族とは緊張関係にあった。

Conjugial Angel
船長の未亡人、リリアス・パパゲイは降霊会を主催している、霊媒である。降霊会には、子供たちを失くした女性や、テニスンの妹で、若いころ婚約者のアーサー・ハラムを失くした、エミリー・ジェスなどが集う。

【コメント】
今年一番のヒット作、まれに見る「好みの小説」でした。「ジョージ・エリオットとマードックの影響が見られる」とか、「色彩や細部の描写においてラファエル前派的鮮やかさがある」という批評を受けているので、どうりで、と思いました。本書はMorpho EugeniaConjugial Angelという、19世紀半ばのイギリスを舞台とした2つの中編から成ります。

Morpho Eugenia
19世紀のヨーロッパでは、研究者だけでなく、一般人の間でも博物学が大流行しました。Morpho Eugeniaの主人公、ウィリアム・アダムソンは自然学者であり、博物学が趣味の裕福なアラバスター牧師の家に滞在します。牧師の収集部屋の様子はまさにヴンダーカンマーです。
「サルの皮や繊細なオウムの羽、トカゲのホルマリン漬け、怪物のような蛇、鮮やかな緑や虹色に光る紫で、角のある日焼けした悪魔のような何箱もの死んだカブトムシがあった。また、熱帯や氷床由来のたくさんの木箱には地学関連の標本、 多種多様なコケや種子や花の包み、クマの歯、サイの角、サメの骨格、枝サンゴもあった」(和訳は適当です)
牧師のコレクションは財に飽かせた雑多なもので、系統立っておらず、ウィリアムはこれを分類・整理し、目録を作成する仕事に従事することになります。そして牧師の美人の娘、ユージェニアと結婚します。ウィリアムはつましい生まれで、幸運な結婚のようでしたが、妻の実家に経済的に依存しており、無言の束縛の下、ままならぬ生活を送ることになります。

タイトルのモルフォ蝶は、熱帯に生息する青い蝶で、羽の輝きが美しく(といっても、個人的には蝶は少し怖いので、写真も小さく載せています)ヴンダーカンマーにもよく展示されます。ウィリアムの興味は、博物学の中でも特に昆虫にあって、熱帯では蝶を採取し、イギリスではアリの生態を研究します。外見は美しいけれど、腐った肉を好むというモルフォ蝶は、美貌の陰に秘密を隠しているユージェニアを暗示し、見た目は地味だけれど、巣の中は組織立っており、研究対象として興味深いアリは、美人ではないものの、知識が深く聡明な家庭教師のマティを暗示しているものと思います。

シャーロット・ブロンテの『ジェーン・エア』を意識して書かれているのだろうと思いました。慎ましく思慮深いマティのキャラクターはジェーン・エアに通じるものですし、雇用主の娘と結婚するとか、家族を巡る秘密があるというゴシック風な設定もジェーン・エアを想起させます。ウィリアムがアリの研究書を著し、編集者に賞賛され、よく売れる、という挿話もシャーロット・ブロンテのようです。ウィリアムの編集者のジョージ・スミスはブロンテ姉妹の作品の編集者でもあります。 ジェーン・エアはインドに行ったら暑すぎて死んでしまう、という理由で宣教師としてインドに渡るリヴァーズ牧師に同行することを断りますが、本書では研究熱心な女性が、自然環境の厳しい、アマゾンの奥地にぜひとも言ってみたい、と言います。

ヴンダーカンマー小説であることは私にとって興味深く、ヴィクトリア朝のお金持ちの家庭の使用人の扱いもリアリティがあり、何よりも意志の強いヒロインが良いです(それに比べるとウィリアムのキャラクターは少し弱いです)。ただ、牧師の語る自然と神についての思想や、アリの巣について微に入り細を穿って書きすぎているきらいがあり、その部分はあまりまじめに読んでいません。

〔映画〕
本作は映画化されています。日本語タイトルは『エンジェル&インセクト/背徳の館』とアダルト映画の扱いですが、アカデミー賞候補にもなったようです。

Conjugial Angel
ヴィクトリア朝に流行したもう一つのものは、降霊会でした。博物学や降霊会のひとつの目的は、おそらく、科学や超常現象を通して神の存在を問い直す、といったことで、同じ本に収録されている二作に内容的な接点はほとんどないものの、奥底ではつながっているのではないかと推測します。

Conjugial Angelは当時の桂冠詩人、アルフレッド・テニスンの'In Memorium of A.H.H.'と、「イノック・アーデン」をモチーフとしています。A.H.H.は、テニスンの同級生で妹、エミリーの婚約者であったアーサー・ハラムです。

エミリーは、十年近くにわたり婚約者の喪に服し、その後結婚しましたが、その時はハラムの家族や、エリザベス・ブラウニングなどからだいぶ非難されたようで、まあ大変ね、という感じです。テニスンはハラムに対して同性愛的な感情を抱き、エミリーの結婚についてもあまり快く思っていなかったらしいことが、彼の詩作品を通じて分析されます。

特段何かが起こるわけでもなく、小説の体裁を取っているものの、半ばはテニスンの詩の研究論文のようで、小説としての面白みにはやや欠ける気がします。降霊会に参加する、当時の中産階級の人々の結婚観の片鱗が見られます。

〔作者〕
A.S.バイアットの妹のマーガレット・ドラブルも著名な作家ですが、この姉妹は仲が悪く、お互いの著作もほとんど読まないそうです。いずれも、翻訳はあまり出版されていないので、今後読んでみたい作家です。A.S.バイアットは『抱擁』でブッカー賞を受賞しています。

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