ラファエル前派の画家とモデル 3.ジェーン・モリス



Jane Morris(1839-1914)
貧しい馬丁の娘、ジェーン・バーデンとしてオクスフォードに生まれる。10台の後半に、観劇をしていたところをロセッティとバーン・ジョーンズに見出され、モデルをつとめるようになる。貧しい出自で教育も受けていなかったが、中流階級出身で、オクスフォード卒のウィリアム・モリスと婚約した後、裕福な紳士の夫人としてふさわしい振る舞いを身につけるべく、語学や音楽の個人教育を受けた。結婚後にロセッティと不倫関係に陥り、ロセッティはモリス一家と同じ家に暮らしていたこともある。二人の関係はロセッティが死ぬまで続いた。また、ジェーンはモリスがデザインしたタペストリーの刺繍を行った。

【モデルをつとめた主な作品】

ウィリアム・モリス「麗しのイズールト」テイト美術館、1858年
この作品はトリストラムがイズールトの夫であるマルク王の宮廷から追放された後に、イズールトがトリスタンを想っているシーンを描いています。ベッドの上に寝ているイヌは、トマス・マロリーが、『アーサー王の死』に書いた、トリスタンがはじめてイズールトに出会ったときに贈ったグレイハウンドであるとされています。また、イズールトが髪の毛につけているローズマリーは、「追憶」の表象です。本作は近年までアーサー王の妃、ギネヴィアを描いたものである、とされていました。ウィリアム・モリス唯一の油彩作品で、テキスタイル・デザインが専門であったモリスは、油絵制作には手こずったそうです。イズールトのドレスや床に敷かれた絨毯、家具やベッドカバーの模様が入念に描かれているところがモリスらしいです。これらの調度品はモリスの私物であったようです(出典)。トリストラムとイズールトの悲恋物語は、ツバメが運んできたイズールトの金髪に、マルク王が目をとめ、トリストラムに「この髪の毛の持ち主を探し出したら結婚する」と宣言するのが重要な場面の一つなので、黒髪のイズールト像は私には違和感があります。

ロセッティ「トロメイのピア」スペンサー美術館、1868年
「トロメイのピア」はダンテの詩から着想を得ています。ピアは夫に幽閉された挙句、毒殺されました。長く、不自然な角度に描かれた首、組み合わされた長い指、画面一杯の人物描写、流れる衣服などが目を引きます。

ロセッティ「ペルセポネ」テイト美術館、1874年
ギリシア神話のペルセポネは、美青年アドニスを愛していたにもかかわらず、冥王、ハデスに略奪され、年間6ヶ月間は黄泉の国に閉じ込められて生活しなくてはなりません。ザクロの赤は、ペルセポネの唇の色と呼応し、壁の蔦は思い出と時の経過を、影の部分は黄泉の国の暗さを、光が当たっている部分は地上で過ごす時を表しています。また、水の流れのような青いドレスの布は潮の満ち干きをあらわします。ロセッティは、ピアやペルセポネのように意に沿わぬ結婚をし、夫により閉じ込められていた女性をジェーンに重ねていたようです。ジェーンは、当初からモリスを愛していませんでしたが、貧しい環境から抜け出すためにモリスとの結婚は必要で、年を取ってからも「もう一度同じ状況になったら、やはり同じ選択をするだろう」と言っていたそうです。モリスは、ロセッティと妻との不倫関係に寛容でした。ジェーンはロセッティが亡くなってからは他の男性と不倫関係に陥りました。私個人としては、ジェーン・モリスについて書かれたものを読むたび、中流の夫人にふさわしい教育を受けさせてもらい、何不自由ない生活をして、しかもモリスはジェーンを愛し、娘たちにとっても良い父親だったというのに、ジェーンの仕打ちはちょっとひどいのではないかという気がします。これではモリスが気の毒だと言わざるを得ません。

イーヴリン・ド・モーガン「砂時計」のための習作、1904年

イーヴリン・ド・モーガン「砂時計」、1905年

ジェーン・モリス、1898年

イーヴリン・ド・モーガンは、マリー・スパルタリ・スティルマンと並ぶ、ラファエル前派を代表する女性画家です。旦那さんは陶芸作家のウィリアム・ド・モーガンです。「砂時計」は時の流れや、老い、生と死をテーマとした作品であり、ド・モーガン自身は「ベートーヴェンの『ヴァルトシュタイン・ソナタ』の一部分への反響である」と述べています(出典)。本作のモデルとなったとき、ジェーンは既に60を超えていたはずですが、往年の堂々たる美貌は衰えていません。

【その他】

  • モリス一家の住んだケルムスコット・マナーの寝室です。ベッドカヴァーの刺繍はジェーンが行い、カーテンとヴァランスのデザイン・刺繍は娘のメイが行いました。
  • ウィリアム・モリスの展覧会は日本でも頻繁に開催されます。壁紙や家具なども美しいですが、精密で手のかかった、手工芸による刺繍やタペストリーのすばらしさは目を見張るものがあります。 ヴィクトリア朝の中・上流の夫人にとって刺繍は不可欠のたしなみだったようですが、モリスのデザインによるタペストリーは芸術とハンドクラフトが見事に融合しています。とはいえ、モリスの工房で制作された家具やタペストリーは高価に過ぎ、彼が当初目指したように「一般庶民の生活に美を」という目的には合致しなかったようです。
  • モリスがジェーンと婚約した後、いろいろな教育を受けさせた顛末は、のちにメイの恋人となったバーナード・ショーの戯曲、『ピュグマリオン』のインスピレーションとなり、ジェーンは戯曲中のヒギンズ夫人のモデルとされています。

コメント

  1. ラファエル前派 好きなので 興味深く拝読しています。ありがとうございます。

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  2. ありがとうございます。この記事、読んでくださる方がいるかしら、と思っていたので、うれしいです。あと10回ほど予定していますので、よろしくお付き合いくださいませ。

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  3. 興味深く読んでいます。今から30数年前ロンドン留学中に、テートギャラリーで、初めて、ミレイのオフィーリアとウォーターハウスのシャーロットの女に接して以来の英国19世紀絵画ファンです。唐突ですが、ミレイのマリアーナが気に入っています。モデルは誰かご存知ですか?

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  4. コメントありがとうございます。ミレイのマリアーナのモデルについては、WikipediaとTate Londonの解説ページには情報がありませんでした。

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