ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影 |
Marie Spartali Stillman (1844-1927)
ギリシア系の富裕な貿易商の娘としてロンドンに生まれる。絵画の才能を発揮し、1864年から数年間、フォード・マドックス・ブラウンに師事。マリーは同じくギリシア系のマリア・ザンバコとアグライア・コローニオと共に「三美神」と称されたほどの、長身の美人だった。家族の反対を押切り、アメリカ人のジャーナリスト、スティルマンと結婚して、夫共々ロセッティのモデルをつとめた。イギリス及びアメリカの展覧会に定期的に出品し、ラファエル前派の女性画家としては、イーヴリン・ド・モーガンと並び高い評価を得ている。
ジュリア・マーガレット・キャメロン撮影 |
Christine Spartali ド・カーエン伯爵夫人(1845?-1884)
ホイッスラーの「陶磁の国の姫」のモデルをつとめた。伯爵と結婚した。
【モデルとなった主な作品】
ロセッティ「フィアンメッタのヴィジョン」個人蔵、1878年 |
ロセッティ「草地の休憩所」1872年 |
本作は視覚的効果を重視した音楽の表現であり、楽器を演奏したり、踊ったりするには極めて不自然な姿勢です。音楽と踊りがある場合、踊りがメインで前面に出ることが多いと思うのですが、本作はダンサーがバックになっているのがユニークです。観客として眺めているのではなく、舞台裏に視点があるかのように、演奏者の背後から描かれており、全員が体をひねり、それぞれ別の方向を見ているのがおもしろいです。
なお、ロセッティがマリーをモデルに描いた作品はスケッチなどを含まずに3枚はありますが、クリスティーンをモデルに描いたものはないようです。出典
バーン・ジョーンズ「水車」ヴィクトリア&アルバート美術館、1870年 |
ホイッスラー「陶磁の国の姫」フリーア美術館、1865年 |
ホイッスラーはラファエル前派ではありません。当時としては前衛的であったラファエル前派を評価し、庇護者であった批評家、ラスキンですらホイッスラーの作品は酷評し、ホイッスラーは名誉毀損であるとしてラスキンを訴えました。ホイッスラーは西洋人の女性がキモノを着ている姿を複数の作品に描いています。本作は何度も描き直され、モデルにとっても、長時間ポーズをとらなくてはならない、骨の折れる仕事だったようです。出典
ホイッスラーはクリスティーンの父のスパルタリ氏からの依頼で本作に着手しましたが、スパルタリ氏は出来に満足せず、代金を支払いませんでした。左上にホイッスラーの大きなサインがあったために、購入を検討していた別の人も、入手を断念したことから、以後、ホイッスラーは小さな、蝶の形のサインを用いるようになりました。本作は、現在ワシントンDCのフリーア美術館内にある、「孔雀の間」に展示されています。「孔雀の間」は青と金の、オシャレなのか悪趣味なのかよくわからない内装で、注文主とホイッスラーとの間で一悶着あったそうです。出典
ジャポニスムの流行に乗った一枚ですが、日本人からすると、「日本風味の珍妙ななにか」という感じです。最近製作された日本を舞台とした映画などを見ると、21世紀になっても、西洋人にとって「伝統的な日本」はホイッスラーの絵に描かれたまま、変わっていないようだと思います。
【その他】
マリー・スパルタリ・スティルマン「自画像」 |
- A.C.スウィンバーンはマリーを初めての印象を、「彼女が非常に美しいので、私は座って泣き出したいほどだった」と記しています。
- マリーは遺言に、「遺す所有物も金銭もないのに、遺言をするのも馬鹿げたことですが…」と書いていますが、彼女の作品群は6億9000万ドル以上の価値があるものと見積もられています。作品の多くはズッカーマン・ロドリゲス財団が所有しています。
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